コミュニケーションはキャッチボール

返ってこないボールを求めて

いかにして、自分が本来望んでいるコミュニケーションを可能にするのか?

まさにそれこそが、わたしのライフワークともいえる事業の根幹となるテーマで、思いつく限りのさまざまな角度から、多くのアプローチを試みてきました。

その結果、いつも思い知らされるのは、コミュニケーションの問題はコミュニケーションを通じて解決していくしかないという事実でした。

では、どうやって?

その答えを導くヒントもまた、キャッチボールのなかにありました。

コミュニケーションの問題は、さまざまな形をとりながらも、その本質はひとつです。すなわち、「未完了」です。つまり、投げたボールが返ってこない状態です。

─── なぜなんだろう?

ボールが帰ってこないと、わたしたちは永久にその答えを探し続けることになります。

やっかいなのは、本人も気づかないまま、常に常にその答えを探し続けていることです。いつも無意識のうちに、その答えを探すことに注意を向けていることです。ですから、ボールが帰ってこなかった場面と似た状況があると、すぐに反応します。

それどころか、わざわざそういう場面に自分をもっていこうとすらします。
あくまでも「無意識のうちに」ですが。

とにかく、自分の中の未完了に注意を向けるのに精いっぱいで、相手の気もちとか、いま目の前にいる人とのあいだに起こっていることを感じ取るほうに、感受性を向ける余裕などもてないのです。新しいことに勇気をもって挑戦したり、創りだしたりする気力など、生まれるゆとりはありません。

「未完了」は、親や先生、友だちなどのコミュニケーションのなかで、ものごころついたころから少しずつ蓄積されていきます。「未完了」すなわち、まだ得られていない答えを探すことに、わたしたちは常に、エネルギーを費やし、それが、他社への過大な警戒、恐れ、比較、競争、嫉妬、疑い、敵意、孤立感、無力感へとつながっていきます。そして、コミュニケーションの場は、いつしかこういう感情を運んだり、こういう感情を確認するためのものとなってしまうのです。

すべては一つひとつのコミュニケーションの未完了から始まっていました。
ではもし、一つひとつのコミュニケーションを完了させていくことができたら?

たとえ過去にどんなに多くの「未完了」をかかえていたとしても、これからのコミュニケーションを一つひとつ「完了」させることによって、それらを消していくことは可能です。

伊藤守著『コミュニケーションはキャッチボール』(ディスカヴァー刊)より

itoh.comトップ > コミュニケーションはキャッチボール > 返ってこないボールを求めて

go Pagetop