コミュニケーションはキャッチボール

気もちを伝えるキャッチボール

もうひとつ、キャッチボールに関して忘れられない体験があります。
1990年、東京都の聾唖者の会に招かれて講演をしたときのことです。

講演の舞台に立って最初に驚いたのは、
両脇にブルーのシャツを着た手話の通訳の方が二人立っていたことでした。
さらに後ろにはもう一組の通訳の方が控えていました。
不思議に思いながらも、わたしは講演を始めました。

わたしが話し始めると、二人が同時に手話で通訳を始めました。
通訳の方が多数いらした理由はじきにわかりました。
わたしが話し始めて十分もしないうちに、
一方のブルーのシャツは汗でみるみる濡れて、
二十分も経つとぐっしょりになり、そこで、通訳が交代しました。
もう一組の二人の通訳がわたしの両脇に立ちました。

それまでわたしは、手話は手でするものだと思っていました。
でも違っていました。
それは指と顔の表情、そして身体全体を使って行うものだったのです。
二十分で交代しなければ、とても身体がもつものではなかったのです。

わたしは話しながらも、ときどき通訳のお二人に見とれていました。
彼らもときどきわたしのほうに視線を向けます。
そのとき視線が合って、それはわたしにはとても新鮮な体験でした。
わたしはだいたいがとても早口なのですが、
少しずつ話して、通訳の人たちと息を合わせるように心がけました。

さて、講演が進み、「コミュニケーションはキャッチボール」という話になり、
そこで、キャッチボールのデモをやるために、前のほうに座っていた、
ジーパンと白いTシャツ、髪を赤いバンダナで結んだ女性に
舞台の上に上がってもらいました。

キャッチボールのデモをするとき、わたしはいろいろな球を投げます。

たとえば、そっぽを向いて投げたり、強く投げたり、
ときにはボールを同時に二つも三つも投げることがあります。
そういうボールを投げられたとき、感情はどう動くかを体感してもらう
という目的が、そこにあります。

わざとちょっと取りにくいボールを投げて、

「こういうボールを受け取るときの気もちはどうですか?」
「どんな感じがしますか?」
「これまでに、こういうボールを投げられたことはありますか?」
「あなたは、投げたことはありますか?」

といった質問をするのです。
そしてこれらの質問には、わたしがそれなりに期待している答えがあります。

「不愉快だ」
「コミュニケーションを交わすのがいやになる」
「不安になる」

そのときも、その女性にイレギュラーなボールを投げました。
下にゴロゴロと転がしたり、強いボールを投げたり。
そして、聞きました。

「どんな感じですか?」

わたしは、いつものような答えを期待して、
通訳の人が、それを手話で彼女に伝え、
彼女の答えをわたしに伝えてくれるのを待ちました。

でも、彼女の答えを聞くのに、通訳はいりませんでした。
彼女は、両手、顔つき、目などの全部を使って、わたしに答えてくれました。
「こんな感じがする」というのを、身体全部を使って伝えてきました。
彼女の気もちがひしひしと伝わってきました。

「さみしくなる、冷たくなる、とってもかき乱される感じ、落ち込んでいく感じ」

そういった感情を身体全体で表してくれました。

「じゃあ、こういうボールはどうなの?」

と投げると、今度は、

「気もちが固まる感じ」

彼女の表現は、わたしの予想をはるかに超えていました。
彼女の表現にときどき見とれてしまうことさえありました。
彼女は言葉にはしません。
しかし、それでも充分伝わってくるものがありました。

そのとき、わたしは思いました。
それまでの自分は、知らない間に、
言葉で気もちを表現することを強いていたのかもしれない。
しかし、うまく言葉にできないとしても、
よく見ていれば、言葉にならない気もちを受け取ることができるのだと。

おそらく、それまでは、
言葉にして言ってもらわないと、わたし自身が不安だったのだと思います。
いまは、キャッチボールをやって「どんな感じ?」と聞いて、
相手がうまく言葉にできなくても、安心していられます。

それは、あのときの体験がベースにあるからだと思うのです。

伊藤守著『コミュニケーションはキャッチボール』(ディスカヴァー刊)より

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