『ぼくを探しに』『ビッグ・オーとの出会い』『人間になりかけたライオン』『歩道の終わるところ』、そして大好きな『おおきな木』の作者であるシルヴァスタインの作品に、最初に出会ったのは20年以上前のことです。それはアメリカン・デフ・シアター(聾唖者による劇団)によるとても印象的な『おおきな木』の舞台でした。ナレーターは黒柳徹子さんで、役者が手話を使ってセリフを言うその舞台に強く引きこまれました。それから原作にも惹かれ、彼の本を読むようになりました。
『天に落ちる』は、彼の最後の作品です。1999年のある日、新聞で彼が亡くなったことを知り、その日に書店に行って、まだ読んでいなかったこの本を買い求めました。もう何度も読みましたが、いつでも手に取れるように本棚の目のつくところにおいてある本です。『天に落ちる』は『おおきな木』や『ぼくを探しに』とは、ずいぶん違っていて、人生を示唆するような内容はどこにも見られません。むしろ自由奔放、思うがままに、心の様が描かれています。一見すると子どもの心理のようにも見えるのですが、実は大人の私たちの心理がよく表れているのです。
『天に落ちる』の内容も、そこにはパラドックスがあります。私たちはたいてい自分がどこか矛盾していると感じています。しかし、矛盾している考えや行動が両立していることにも気がついています。本来、私たちは、「自信のないやり手」であり、「冷たいサポーター」、「気の弱い冒険家」、「休みがちなワーカホリック」、「気まぐれな分析屋」です。自分の性格を言葉にするとしても、一言ではなかなか言い切れないものです。それは、私たちが一見すると矛盾した考え方や行動を共存させているからに他なりません。しかし「私」とは、本来そういう存在なのだと思います。「勇敢な冒険家」、「男らしい武士」、「誠実な夫」、「子どもが大好きな先生」とか、そもそも無理があるのでしょう。
『天に落ちる』を読んでいると、そのことによく思い当たります。辛らつな言葉遣いもありますが、それが気持ちよく読めるのは、心の中で自分の矛盾と気持ちよくつきあえているからなのかもしれません。それに矛盾していると思ってしまうのは、もしかすると自分のものの見方が偏っているからなのかもしれません。
この本は絵本のようなつくりになっており、子どもの目で見た世界が描かれていますが、やはり大人の私たちの気持ちをそこに見ることができます。ですから、悪態をつきながらも、ちょっと悲しいところもあるのです。それが作者であるシルヴァスタインの魅力なのだと思います。
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