『青二才の頃』は、副題に「回想の'70年代」とあり、最初はどこか「オタク」っぽい内容なのだろうと思いましたが、それがただの懐古趣味ではないことに気がつき、出張先のサンフランシスコのホテルで夜一人になって、一気に読んでしまった一冊です。
著者は名古屋の愛知教育大という教員養成学校卒業後、作家を目指し東京へ出て就職します。読んでいると、そこで彼の経験する70年代がひと事とは思えず、知らず知らずのうちに自分が投影されていきます。それもいやな感じではない。年齢が近いこともありますが、『青二才の頃』を読んでいる間、私は私自身を少し思い出したような気持ちになりました。
これまで私は、自分の過去を振り返るのはあまり好きではありませんでした。楽しいことを思い出したとしても、その後、決まって少し苦い経験を連鎖して思い出してしまうので、できるだけ早くその記憶から抜け出す努力をしてきました。しかし、この本を読んでいる間中、私はとても気楽に自分の過去と現在を自由に行き来することができました。タイムマシーンに乗ったような錯覚の中で一気に読みました。もう少しそこにとどまっていたいような気持ちにもなりましたが。
「でも73年には、陽水は「心もよう」「夢の中へ」などのヒット曲を出し、注目された。荒井由美も活躍し、にわかにニュー・ミュージックとシンガー・ソングライターという言葉が注目された。」(本文より)
この一節を読み、大学五年生の自分が、成城のはずれの小さなアパートで、ベッドの上で横になりながら陽水や荒井由美を聞いている、そんな情景が頭に浮かびました。そのときの自分がどんなことを思っていて、どんなことを感じていたか、リアルに思い出します。
「71年に、まず京王プラザホテルが竣工。その高さ169.8メートル。74年には、新宿住友ビル、KDDビル、新宿三井ビルが竣工する。」(本文より)
あのあたりにもよく行ったのを思い出します。京王プラザのラウンジでお茶を飲んだり、バーで飲んだり。20代の前半なんて、ただ無理して背伸びしていたように思っていましたが、こうして振り返ってみると、そのときは十分大人だった自分がいることに気づき、それは新鮮でした。
『青二才の頃』は決して「昔は良かった」といったような懐古趣味的なわけではなく、むしろ記述的で、そのときの著者自身そして年代をよく観察し、表現した本です。きっと著者が、そのときそのときの出来事を批判的でもなく、思い入れを込めもせず、むしろ淡々と書いているが故に、読者である私も自由に過去を散歩できるのだと思います。
記憶というものはあまり正確なものではなく、むしろ自分の内側で「物語」として創造されている場合が多いのです。いろいろな理由があって、過去を肯定的とらえたり、または否定的にとらえたりします。そういう意味では過去は、自分の後ろ側にあるのではなく、未来となんらかわらず、自分の目の前に広がっていると言えるでしょう。そこからいろいろな情報のかけらを拾ってきて、自分の「物語」を発展させるわけです。『青二才の頃』は、本当に楽に、過去をたぶんそのまま思い出す自由をあたえてくれた一冊だと思います。 |