1968年、始めて2001年が公開された時の話だ。映画好きの友人に誘われたが、気が進まなかった。あまり乗り気でなかったのは、なぜか当時、狂おしいまでの映画への思いが、突然しぼんでしまっていた時だったのと、ロードショウ館のせいだった。当時、テアトル東京は東京唯一のシネラマ館で、シネラマといえば退屈な観光映画の代名詞だったからだ。
「だってクラークとキュブリックだよ」と強引に誘われた。プロモーションが悪かったのだろうか、公開直後なのに空いていた。結果は、“ツァラトゥストラ”が鳴り響いてからエンディングまで、まるでタイムゲートに突入したボーマン船長のように瞳孔が開きっぱなしのまま、時間を忘れて見入ってしまった。
それからだ。謎に包まれたストーリを解明したくて、テアトル東京通いを始めたのは。以後いったい何回、劇場でこの映画を見たのだろう。クラークによる原著の翻訳本ももちろん読んだ。翻訳の伊藤典夫もあとがきで書いていた。「あなたもあの映画のつじつまをあわせたくて、本書をあけた口だろうか…」と。そう、その通り。
その後、クラーク自身による続編も書かれ、すべての謎が解明されてしまった。…と思って久しい所に本書だ。あえて今、2001年の何を講義してくれるのだろう?いったい何をどう読み解いて、何を付け加えてくれるのだろう?と懐疑的な思いで本書を開いた。が、さすが『日本SF論争史』で今年の日本SF大賞を制した巽孝之教授、今だから展開できる新しい解釈とともに、“記憶の宮殿”として読み解いたモノリス論など、やるもんだねエ。また2001年シリーズ熱がぶり返して来そうだ。 |