誰でも「好き」「嫌い」と思ったり思われたりする経験はありますが、作者にとってはかなり切実な問題です。彼は彼の妻、そして息子から嫌われているのです。彼はまた、自分の父親を嫌っていました。「私は、父が死んでからもなお彼を嫌っている。息子もまた私を嫌っている。これは一体何なのだ?」作者は逃れられない宿命を感じ「嫌い」を研究し、この本に至るわけです。
「嫌い」も確かに人生の一部です。読み進むにつれて「好かれていなければならない」という脅迫観念に知らぬ間に取り込まれ、おもね、媚び、へつらい、小さな嘘を重ねる自分の実体が浮き彫りになるのでした。ここまで嫌われる人がちょっとうらやましいような気さえしてきます。それは、好かれているに越したことはないでしょうが、同時に嫌われていても大丈夫でいられる自分も欲しいと思うのです。人に気遣いばかりしていたらやりたいことがやれなくなります。結局、「やりたいこと」が「人に嫌われないこと」では悲しい限りですから。
作者は、自らの内に「血のしたたる嫌いを取り入れる必要がある」と力説します。明晰な判断のもとに、能動的に他人を排除し他人と対決する。世間と絶え間なく、ほどほどに衝突を繰り返すことを通じて、自分にとって居心地のいい人生の「かたち」を整え、その「かたち」に反した他人とは容赦なく対立していく。
現存する社会のヒエラルキーの中では、嫌われることが致命傷であり、人を嫌ったり、恨んだり、恨まれたりすることもままなりません。だからこそ、私は「嫌い」を正面から体験し、扱っている彼によって実は少し癒されているのだと思います。 |