客席がまばらなクラブでも、酔客が大きな声で話していても、ジャズピアニスト、フォギーはいつも、自分は「柱の陰にいる誰か」のために演奏をしているのだ、と思っている。でもこれは彼女だけに限らない。私たち誰もが共通して持っている思いではないだろうか。自分の努力と才能をわかって評価してくれる、いつか姿を現すだろう「柱の陰にいる誰か」のために、日々、仕事を、家事を、勉強をしていたりする。あんちゃんはバイクの腕を磨いていたり、おねえちゃんはエステに通っていたりする。
ストーリの骨子を言ってしまえば、ジャズクラブでピアノを弾くという堅固な現実の中で生きていた主人公が、理不尽にも突然(フィボナッチ数列、オルフェウスの音階、ピタゴラスの天体などという訳のわからない)魔術的・オカルト的世界に放りだされてしまうという、幻想小説にありがちなパターンの、何の変哲もない小説だ。…が…。
物語の内容についてはもう言わない。ジャズに限らず、あなたが音楽が好きならば、カードを開けずに賭けてみる価値がある。2段組490ページ全編に流れる“音楽の幸福感”が泣かせる。読まないのは損失だ。楽天家フォギーの冒険を楽しんで欲しい。語り口も工夫がされていて、本当に音が聞こえてくるような、魅力的な文体だ。
『「吾輩は猫である」殺人事件』では漱石の文体模写をした奥泉光、今回はジャズピアノ風文体に挑戦しているらしい。フォギー自身の目から見た3人称と1人称が入り乱れた、句点の少ない軽妙な語り口で、アドリブの間にテーマが見え隠れする。
で、この題名=鳥類学者って何?猫のパパゲーノ?霧子の聴いた鳥の声?それとも、あのバードのこと?(ネタバレ寸前か…) |