庄野潤三の作品はどれも大好きだ。これを小説といっていいのだろうか、というほど、なにもストーリーだとか山場だとかいったものは無いのである。日記あるいは随筆という感じだ。
老夫婦が散歩したり、娘や息子の家族と交流したり、近所の人とおつきあいしたり、旅行したり、といった日常が淡々と書かれている。それなのに、前に紹介したハイスミスのサスペンス小説と同じくらい引き込まれ、次々とページを繰ってしまう。そのあたり、やはりこれは小説になっているのだろう。
魅力の秘密は、鍛え上げられた文章力だと思う。たとえば冒頭。とかげが走っていく様子をこんなにうまく書けるなんて、って驚く。さらっと書いているようで、なかなかこうはいかない。登場する人物はみなそれぞれ人柄の良さがにじみ出ているし、花は実に美しく、食べ物は実にうまそうに描かれている。中学校・高校ではくだらない国語教科書なんか読ませないで、庄野潤三の作品を読ませ、書き写させれば、それだけで十分なんじゃないだろうか。
仕事がら興味深かったのは、「直接接続者」と呼ばれるアフロディーテの学芸員は、手術によってコンピュータのデータベースと直結され、イメージを思い浮かべるだけでデータの検索・絞込みができる、ということだ。最新バージョンは主観的印象や情動さえも検索条件に含むことができる…。ひょっとして、これって、WEBページを検索するように博物館のデータベースにアクセスする、未来型の検索エンジンのことなの?こんな検索エンジンならば、手術を受けてでも使ってみたい。 |