1ヵ月の海外出張が終わろうとしていたときだ。本社よりの依頼で、急に予定を変えその国へ入った。そのまま8ヶ月日本に帰らなかった。すでに手持ちの本もない。日本人があまり住み慣らした類の国ではない。日本語の本などほとんど手に入らない。毎晩酔っぱらって帰った後は、読めない文字で書かれた雑誌や電話帳を見ながら眠りについた。落語のカセットを手に入れたのは、少し言葉がわかるようになり、フロントマンと挨拶を交わし始めた頃だ。かってこのアパートメントホテルに泊まっていた日本人家族が置いていったのだそうだ。42巻もあった。むさぼるように聴いた。もちろん、オーディオセットはおろかラジカセだってない。持っている音響製品は9バンドのラジオとウォークマンだ。
深夜、ヘッドフォンで聴く落語は新鮮だった。名人から中堅まで20人程の噺家中、志ん生と小三治、特に小三治にはまった。ソースが豊富にあるところで聞き流していたら、ヘッドフォンではなくスピーカを通して聴いていたら、わからなかったと思う。凡百の噺家と息継ぎが微妙に違うのだ。熊さんから与太郎に話者が移る。変わり目でも言葉が途切れない。トーンや口調だけがスムーズに変わり、話者が代わったのだとわかる。それから途中でやっと息を継ぐ。……。
その小三治の落語の“まくら”ばかりを集めた本が2冊文庫にそろった。落語はもちろん、まくらの達者さでも評判の趣味人小三治だ。おもしろくないわけがない。おまいさんも、一度、だまされたと思って、読んでごらんよ。 |