学習障害の地方紙記者の活躍
今回は、中国新聞に2003年7月21日に掲載された、自らLDを抱えながら山口県周南市で地方紙記者として働く大橋広宣さんの記事をご紹介します。
学齢期を過ぎると、多くのLD(学習障害、ラーニング・ディスアビリティズ)児は家庭以外に居場所を失います。LDは2002年度に初めて文部科学省が全国調査をしたばかりで、学校内の支援策さえ手探りの段階。巣立った青年と家族には就労、自立へと、寄る辺ない道が続くというのが現実です。何が支えになるのか―。LDと向き合い、周南市で地方紙記者として働く大橋広宣さん(38)がその経験を語ります。
「1日に記事を大小16本書いた日もあるんです。」4ページの紙面を毎日、記者4人で埋め、有線テレビ局のニュース番組にもときどき出演する大橋さんは入社16年目。大橋さんは計算を苦手としています。足し算はまだしも、引き算が分からないと言います。暗記は得意なのに、九九も3の段はもう怪しい。「数字はまるで宇宙人の言葉。考えてると、頭に痛みが走る」と大橋さんは語ります。
大橋さんがLDを自覚したのは教職を志し、大学に入ってから。教育心理の教科書で見つけた「計算が苦手、集中が難しい、得手と不得手が極端…」といった特徴が、ことごとく当てはまったのです。「自分は、これだったのか」と初めて原因を知りました。心が楽になると、記憶の底から学校時代の悔しい思い出が浮かびます。文系の科目は分かるし、弁も立つのに算数(数学)は零点の大橋さん。LDとは知らず、どの教員も「やればできるのに、努力が足りない」と責め続けたと言います。
映画少年で、特撮ものに夢中だった大橋さんは、空想の世界を描いた作文を、「お前、おかしいんじゃないか」と級友の前で先生に破り捨てられた経験もあります。
「人間を書く記者に成績は関係ない」と、映画好きの情熱を面白がってくれた今の会社に入社。数字の込み入った原稿のチェックは、同僚や上司が助けてくれます。
編集主幹の橋詰隆康さん(73)は「彼は誰ともすぐ仲良くなれ、発想が豊か。数には弱いが、補って余りある面白い人物。拾いもんやった」と大橋さんを語ります。
「一番の救いは、ありのままの自分を受け入れてくれた父と亡き母。家庭が港だった」と大橋さんは振り返ります。そして自分の経験を数年前から、県内外のLD児・親の会の求めで語り始めています。「医師や親御さんに、大橋さんは希望の明かりだと言われて。LDの程度は千差万別だけど、自分の経験が生きるならと話している。」
力強く、前向きに活躍する大橋さんの姿勢には、励まされます。
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