https://irelandpills.com/

MAGAZINES & PAPERS

日経産業新聞『コミュニケーション術』

『コミュニケーション術』は、2003年6月から12月までの半年間、日経産業新聞に連載されました。なお、ここに掲載した記事の一部については、日経産業新聞に了解を得て、実際に紙面に掲載された記事に加筆しています。ご了承ください。
なお、ここに掲載されているすべての記事について、無断で転載することを禁じます。

「「育て上手」な人たち」

2003/06/03

教育者やビジネスマンの中に、もともと人を育てることに長けている人たちがいます。彼らは単に知識を教授するだけではなく、生徒や部下が自発的に自分に合った方法でそれらを学び取り、使えるようにするのがうまいのです。彼らのような人たちをネイティブコーチと呼びます。

彼らは、部下に仕事を教えるときに、自分の考えや経験を押し付けるのではなく、部下の仕事の許容量や価値観などを聞き出しながら、彼らが自分からその仕事についての情報を取り、自ら学べるようにします。そして、部下の目標やゴールについて、折に触れ話題にし、フォーカスをしぼっていきます。

彼らの特徴のひとつは、会話の頻度が圧倒的に多いということです。そうすることで、部下の成長に点ではなく線で、つまりオン・ゴーイング(現在進行形)で関わっていくのです。その会話は、決して劇的なわけでもなく、内容もシリアスではありません。故にお互いが、構えることなく話せるのでしょう。また、会話は交わしますが、結論を急がないという特徴もあります。さらに、彼らは決して教えたがりではありません。むしろ部下に質問し、部下が自分で考え、自分から行動が起こせるように会話を発展させます。

このように、ネイティブコーチが部下とどのように接しているか、どんな会話を創り出しているか、それらを観察し、共通した特徴を集め、コード化したものが「コーチング」です。誰か特別な人によって創られたものではないのです。

誰とどんな会話を交わしているときに「アイディア」が出やすいか、「行動」を起こしやすいか、「問題が解決される」か、などを振り返ってみると、身近なネイティブコーチの顔が浮かびます。彼らが人とどんな接し方をするのか、またどんな会話を創りだすのか。それらを注意して観察すると、コーチのコンピタンシーが見えてきます。大事なのは、正しいコーチングの概念ではなく、何が実際にうまく行っているのかを、自分の目で見つけることです。

go Pagetop

「人を育てる聞き上手」

2003/06/10

コーチングの研修などで参加者に質問をすることがあります。「あなたは人の話をよく聞く方ですか?」 この質問には、だいたい5割ぐらいの人が手を挙げます。同時に「あなたは人に話を聞いてもらっているという実感がありますか?」という質問を同じ人たちにすると、ほとんど、手が挙がることがありません。つまり、自分は相手の話を聞いているつもりなのに、自分は聞かれてはいないという現象があるのです。

聞く能力にはレベルがあります。単にテレビの音や駅のアナウンスを聞くレベルから、人の話を聞くレベルでは、頭の中のセットアップがまるで違います。関心をもって人の話を能動的に聞くとなると、単に音を受け取るだけでは足りません。

「本当に伝えたいことはなんだろうか」
「今話していること以外に話したいことはないだろうか?」
「今話しやすいと思っているだろうか?」

相手の話に注意を向けながら、上記のことを想定しています。また「聞く能力」を高めるために、自分が人に対してどのような「先入観」をもっているか、また、自分がどのような「判断基準」をもって人の話を聞くかについても、知っている必要があります。

ご存知のように私たちは「相手の伝えたいことを受け取る」以前に、「聞きたいことを聞きたいように聞く」傾向があるからです。聞きたいことを聞きたいようにだけ聞いていると、話しているほうが話す意欲を失います。多くの上司は、自分は聞いていると思っていますが、部下はそうは思っていない場合が多々あります。確かに耳を傾けてはいるのですが、内側では聞く用意ができていないのです。

上司の聞く能力が上がれば、部下に「自由に話させる」ことができます。また聞く能力があれば、部下が自分でもまだ気づいていなかった「アイデアを引き出す」ことも可能になります。落語家の古今亭志ん生さんの言葉に「話し下手、聞き上手に助けられ」という言葉があります。聞く能力は、部下の育成に欠かせないスキルです。

go Pagetop

「「聞くこと」を鍛える」

2003/06/17

コーチのもっとも基本的なスキルは「聞く」ことにあります。管理職の78%は、「聞く」ことがマネジメントするうえで大切なことだと理解しています。しかし、実際に「聞く」トレーニングを受けている管理職は、全体の2%に過ぎないと言われています。別の調査では、社員がやる気を失う理由として、「上司が話を聞いてくれないから」というものが一番に上がっています。

多くの上司は、自分は部下の話を聞いていると思い込んでいますが、それは部下が求めているような聞き方とはかけ離れているのでしょう。

なぜ「聞く」トレーニングが必要なのか、という質問を受けることがよくあります。人は、1分間におよそ100〜175語を話します。一方、人が1分間に聞くことができる単語数は600〜800語と言われています。つまり、私たちは、聞くために頭をフル回転させる必要がないので、次第に集中力を失って、すぐにほかのことに気をとられてしまうのです。

これを改善していくことが、意識的に聞くトレーニングにつながります。部下が話している間、別のことを考えたり、「頭の勝手なお散歩」が起こったりしないよう、コントロールできるようにします。部下の話に集中するための頭をセットアップすることが、聞くことのトレーニングになります。

たとえば、言葉だけを受け取るのではなく、顔の表情、声のトーン、目の動き、姿勢や手の動きなど、言葉以外のメッセージを受け取る練習。自分が聞いているということを話し手に伝える方法。うまく受け取れない内容については、繰り返してもらう、など。また、もっと積極的に聞くために、効果的な質問を創り出す。聞く能力を上げるためには、多少忍耐も必要ですが、積極的に話し手に働きかけることで、より聞ける状態を自分に創り出すことができるようになります。

いつか「話してよかった」「聞いてもらってよかった」こういう言葉を部下から聞きたいものです。

go Pagetop

「耳障りなことも聞く」

2003/06/24

話を聞けない理由のひとつは、前回書いたとおり、頭の構造上、相手の話に退屈してしまうからです。もうひとつの理由は、力関係です。話す側と聞く側では、話す側にアドバンテージがあるという経験と記憶から、私たちは知らないうちに聞く側に回らないようにしているのです。

それに関連して、自分が聞きたくないことは、聞きたくないという思いがあります。自分にとって不都合なこと、自分が不快になってしまうようなこと、そして、自分の身丈がハッキリしてしまうようなことは、できれば耳にしたくないものです。どんな人でも、目の前にいる人と会話を交わしながら、たとえそれが真実だとしても、自分について都合の悪いことは言わせないようにコントロールしているものです。

しかし、自分にとって都合の悪いことでも聞いてみようとしなければ、部下に自由に話す機会を与えることはできません。自分にとって耳障りなことを聞きたくないという思いは誰しも同じですが、自分が聞きたいことではなく、部下が話したいことを話せる上司が求められています。

ブレインストーミングをしているとわかりますが、気づきや価値ある情報に出会うまでの過程では、そのほとんどが役にたたない話です。99%は根も葉もない、意味のない内容です。しかし、ブレインストーミングにおいては、その全過程を経て、1%の価値ある情報を手にすることができるということも確かです。本当に価値ある情報は近くにいる人の内側で、本人さえも気がつかないまま眠っている場合がほとんどです。どれだけ自由に、思っていることを思っているままに、そして、感じていることを感じているままに話すことのできる環境があるかが大事です。

部下が話しているときには、途中で口をはさまない。話したことを批判しない。結論の先取りをしない。そして、沈黙が起こってもあわてず、その沈黙を大切にする。

ちょっと不快な感じがしてもかまいません。その不快感は部下と共有できるものの一つです。

go Pagetop

「効果的な動機づけ」

2003/07/01

話を聞くということは、相手の話している内容に、同意したり、賛成、反対したりすることとは違います。ましてや、忠告や助言をする、代わりに問題を解決する、相手の要望に応える、といったことでもありません。相手の話を聞くということは、相手の話やそのときの感情を「承認」することです。

たとえ相手の話に同意できなくても、聞くことはできます。相手が伝えたいと思っていることを、思っている通りに、感じていることを感じている通りに「理解」しようとすることが「聞く」態度であると言えます。

聞く、理解する、承認する。そのことには、もちろん話の内容を理解するという意味もありますが、それ以上に、話をしているその人の存在を承認し、理解し、聞く、という意味があります。人がいらいらしたり、怒ったりするのは誰にも理解されていないと思うときです。やっかいな人と思われている人も、実はただ自分はまわりに理解されていないと思っているだけかもしれません。誰かと言葉を交わしてみたいと思っているのかもしれません。

こうしてみると 聞くという態度は、たとえ考えの違う人でも、そこに「関わり」をつくる、または、 自分とは違っても、仲間として承認するというあり方だともいえます。

年齢に関係なく人は孤立することを怖れています。話を聞かれていないと、自分は仲間として受け入れられないのではないかと、不安になります。故に私たちは、 聞くという態度を通して、その人を仲間として認め、その人の存在を承認していることを伝えることができます。

話を聞かなければ、部下を不安がらせることになります。反対に部下の話に耳を傾ければ、部下は安心感をもつことができます。安心感はすべての行動の源です。不安でいるときは、視野が狭まり、行動は抑制されますが、安心感は、関心や興味を開放し、自発的な行動につながっていきます。安心感というクッションがあるからこそ、人は行動を起こす勇気がもてるのだと思います。

上司の仕事は、部下に仕事をさせることではなく、部下が自発的に仕事をする気にさせることです。話の途中で口を挟まず、結論を先取りせず、最後まで話を聞こうとすることは、効果的な動機づけになると思います。

go Pagetop

「関係の厚みに配慮」

2003/07/08

打ち合わせや会議の時間に遅れる上司がいます。急な来客、長引いた会議や長引いた電話など、理由はいろいろあるのでしょうが、部下との約束の時間を破ることは、部下に対して「君の時間よりは、上司である自分の時間の方が大切だ」、「君よりは自分の方が会社にとって価値の高い人間だ」と言っているのと同じことです。

それはすなわち「君にはあまり価値がない」、「君のことを大切には思っていない」と言っているようなものです。それで、部下が自発的に仕事をしたり、いい提案をしてくるとも思えません。

部下がどう動くかは上司の態度が反映します。コミュニケーションにおいては、いくら正論を言ったからといって、それで部下が動くわけではありません。特に会社におけるコミュニケーションでは、言葉を交わす以前に培われている「関係」の厚みによって、伝わり方が変わります。関係の厚みを創るために、日ごろから気を配っていなければならないことがあります。

その基本になるものは約束とその実行です。組織は約束によって創られ、物事は約束とその実行によって実現しています。約束のもとに、組織は結束するのですから、上司にしてみれば、たいしたことのない約束であっても、約束は約束として大事に扱う必要があります。約束は、上司の都合で変えていいものではないのです。

部下と話していて、部下のやる気が低下していたり、反応が不自然に見えたときは、部下の状態を聞くだけではなく、最近した約束で自分が実行していないものはないかについても聞いてみてください。どんな小さな約束であってもそれが実行されていないときには、真摯にそのことを認め、ただちにその約束を実行に移すべきでしょう。言葉を機能させるためには、関係の醸成が求められるのです。

go Pagetop

「「好意」を伝える」

2003/07/15

上司の仕事は、部下に仕事をさせることではありません。部下が自ら仕事をやろうという気にさせるのことです。そのためには、部下に対して、自分の期待や要望などを一方的に伝えたり、正論を言うだけでは十分ではありません。普段から部下との間に、いい関係を築いておく必要があります。

部下との約束を大事にすること。それと同時に、部下にどれだけ「好意」を示しているか、部下をどれだけ「承認」しているかが問われます。人は誰でも、自分を認めてくれる人と仕事をすることを好みます。また、自分のことを好きな人を好きになる傾向があります。

仕事の出来、不出来とはまた別に、一緒に仕事をしている仲間として承認する。たとえ会社の中で上下関係があるとしても、部下を一人の人として認め、尊敬する。「一緒に仕事ができて嬉しい」、「君と一緒に仕事をするのは楽しい」と伝える。この話をすると、そんなことはできない、言わなくてもわかっているはずだという声が上がります。しかし、いつの時代でも自分の好意を伝えるのは勇気がいることです。自分自身を振り返ってみてもそうです。今伝えたほうがいいと思っても、踏み出せないことがよくあります。それに一度できたからといって、次から自動的にできるようになるわけではありません。毎回、勇気が必要です。

また、好意は、言葉だけで伝わるわけではありません、そのときの声のトーン、目つきや、顔つき、姿勢などが大きく影響します。腕組みして斜に構え、「君を信頼している」と言っても伝わるわけではないということです。さて、部下との信頼関係は毎日築いてゆくものですが、一度振り返ってみてください。

・一日に部下の名前を何回呼んでいるか
・部下とどのくらい視線を合わせているか
・部下に一番最後に自分の好意を伝えたのはいつか
・部下が昨日どんな洋服を着ていたか思い出せるか

毎日見ているつもり、聞いているつもりになっていますが、案外見てもいないし、聞いてもいないものです。

go Pagetop

「自律性を持たせる」

2003/07/22

ものごとを「始める、変える、終わらせる」。この三つができることを「コントロール力がある」といいます。今、企業が求めている人材とは、自分で考え、選択し、自分から行動を起こし、自分で評価することができる、そういう自律性のある人材です。

これまで組織で評価されてきた人は「指示通りにきちんと仕事のやれる人」でした。組織>の中では、指示を出す人とそれを実行に移す人、言い換えれば、考える人とそれを実行する人に、分かれていたのです。しかし、状況は変わりました。変化が早く、予測がつかない、前例がない。そういう時代になりました。上司が指示して部下が動くというスタイルでは不測事態に対応できません。上司の指示を待っていたのでは、遅すぎるのです。予測がつきづらい時代には、状況対応能力の高い人が求められます。

たとえば野球の場合、監督はベンチに選手と一緒に入り、そこからサインを送ります。ところが、ラグビーのように攻守がすぐに入れ替わるようなスピードのはやいゲームの場合、監督のサインを待っていたのでは間に合いません。ラグビーでは、選手が各々自分で考え、予測しながらプレイすることが求められます。実際に、ラグビーの場合、監督は試合が始まってしまえばベンチではなく、スタンドに座ってゲームを観戦します。ゲームは選手に全て委ねられているのです。もちろん野球選手も自分の判断でプレーすることが求められると思いますが、ゲームの性質上、ラグビーの方がその割合が大きいように思われます。

会社におけるマネジメントも、ラグビーに近いものがあります。上司は常に部下を管理するのではなく、部下に仕事を委ねることが求められます。それは単に放任するという意味ではなく、普段から部下が自分で考え、選択し、行動を起こし、評価もできるように、上司は部下をコーチしている必要があるということです。

目標の管理だけではなく、部下が自律性を備えることができるようコーチしている必要があるのです。やがて、楕円をしたラグビーボールが地面に落ちてどの方向へ跳ねるかを予測することのできる部下が育つようになるでしょう。

go Pagetop

「目的地へと運ぶ」

2003/07/29

コーチという言葉は、鉄道以前に用いられた最初の四輪大型馬車が「コーチ」という地でつくられたことに由来します。現在でもイギリスでは、長距離用のバスを「コーチ」と呼びます。やがて、選手や学生を目的地まで運ぶ道具とみた比喩から、一般的に、指導者を「コーチ」と呼ぶようになりました。

当初、「コーチ」はスポーツの世界で活躍していましたが、1958年、ハーバード・ビジネス・スクールの教授、マイルズ・メイスの「Developing Executive Skills」という論文の中で「コーチング」という言葉が登場し、それ以来少しずつ、ビジネスの世界でも「コーチング」という言葉が使われるようになってきました。

どんなにいいアイデアがあっても、それが誰かに伝えられなければ、そのアイデアはないに等しいわけです。アイデアは、それを伝える手段があって初めて伝わるものです。すばらしいアイデアも、それを相手のところまで乗せて運ぶ乗り物がなければ、そのアイデアが使われることはありません。部下が欲する知識や技術をもっていたとしても、上司がそれを伝授する方法を知らなければ、部下の望むものを与えることはできないのです。

そこで、部下を目的地まで最短で運ぶ手段として、コーチングが着目されるようになりました。それでもやはり最初は「コーチ」と言えばスポーツのイメージが強く、「スポーツ・コーチのテクニックをマネジメントに活かす」という考え方が一般的でした。1980年代になって初めて、コーチングがスポーツから切り離され、独立したひとつのスキルとして認識されるようになります。しかしその頃でも、コーチと言えば、その分野のエキスパートであり、「答え」をもっている者と考えらていました。

1990年代に入って、コーチはエキスパートという考え方から「ともに考えるパートナー」としてとらえられるようになります。コーチは、教えたり指導したりするのではなく、部下が目標を達成するために必要な知識やツールを棚卸しし、それを具体的に身につけていくためのコミュニケーションを創り出すスペシャリストになりました。2000年に入ってからのコーチは、聞く、質問する、要求する、そしてアクノレッジするという乗り物「コーチ」にクライアントを乗せて、目的地まで運ぶようになりました。そして、そのテクノロジーは、現在組織のマネジャーに用いられるようになったのです。

go Pagetop

「頻繁に話し合おう」

2003/08/05

売り上げを上げること、品質を上げること、サービスを向上させること、社内のコミュニケーションを活性化させること。どの会社でも、こうした課題について会議などで話し合われることがあると思います。しかし、売り上げも、品質も、サービスも、一回会議で話し合えばいいというものではなく、常に向上させていく必要があります。そのためには、頻繁に話題にしなければなりません。

弊社(コーチ・トゥエンティワン)では、数字について話される時間が少なくなると、売り上げが下降するという傾向があります。また品質について話し合われなくなると、品質の低下が起こります。「一回言えばわかるだろう」、「何回も言われなくてもわかるよ」、「いつも同じ話だ」。次第にこうした抵抗感がうまれ、人は同じことについて話題にするのを躊躇するようになります。

しかし、私たちは一回聞いただけではわからないものです。また、何回か言われても、それが行動に移らなければ、それは「わかっていない」ということを意味します。つまり同じ話題を繰り返すことは、売り上げ、品質、サービス、などを常に向上させていくために必要なことなのです。

たとえば品質を上げ続けることが上司にとって当たり前であったとしても、部下が同じレベルで理解しているとは限りません。なぜそれをやる必要があるのか? それは自分の目的とどのようにリンクするのか? 品質を上げ続けることで来はどうなるのか? こうしたことについて頻繁に話し合う時間をもつことが大事です。それも会議という改まった席ではなく、部下とちょっとした時間を見つけて話します。そして、部下が自分で考えることができるように、品質向上に関する話題を提供します。

サービスについても同じです。サービスはかくあるものと答えを与えるのではなく、部下に質問するのです。「どんなサービスがしてみたいか?」、「自分が受けたサービスで印象に残ったものは何か?」、「ここで一番いいサービスとは何か?」。サービスについて考えること自体が、すでにサービスなのです。売り上げ、品質の向上、サービス、社内のコミュニケーション、これらは、継続的に話題にすることで、絶え間なく変化させ、向上させていくものなのです。

go Pagetop

「人の違いを観察する」

2003/08/12

人はそれぞれ違います。わかりきっていることではありますが、実際のコミュニケーションの最中は、話の内容にとらわれて観察力が低下し、違いが見出せなくなることがよくあります。しかし、落ち着いて観察すると、その人らしさや、その人のパターンにいろいろ気がつきます。

相手を観察するときには、事前に質問を用意し、自分に向けて質問すると、広い角度で相手を観ることができるようになります。

・この人はどんなことに価値をおいているだろうか
・論理的な思考をするほうだろうか、それとも感覚的だろうか
・今の体調はどうだろうか
・思ったことを口にするほうか、それとも抑えるほうか
・どんな強みをもってるだろうか
・人間関係を築くのは得意だろうか
・人の話は聞くほうだろうか
・人にはどんな影響を与えようとしているか

ふだん、私たちは気づかないうちに人にレッテルを貼ってしまっているものです。そして、自分の貼ったレッテル(記憶)から情報を引き出し、対応してしまいがちです。

「今ここ」での情報をもとに、コミュニケーションを発展させるためには、聞くことや観ることを通して、相手を「観察する」ことです。それによって、相手の受け取りやすい言葉や表現方法を選ぶことができるようになります。

誰にでも同じ言い方や同じ表現方法が使えるわけではありません。部下をほめるときでも、同じほめ方で全員が喜ぶわけではありません。ある人は、一言ほめられるだけで喜ぶでしょうし、ある人は、どこが賞賛に値するかを細かく話すことで、ほめられたことを受け入れます。「ほめているんだから素直に受け取ればいい」。確かにそうなのですが、人はそれぞれ情報の受け取り方も違います。

最初に部下を観察し、どんな言葉や表現を受け入れ、また受け入れないのか、個別の反応を見分ける必要があります。それによって、仕事の指示の出し方、提案の求め方など、それぞれが違ってくるものです。

人はそれぞれ違うということは、忘れられがちな真実です。しかし、コミュニケーションと観察は切り離せない関係にあるのです。

go Pagetop

「事前にイメージする」

2003/08/19

部下と話すとき、事前にどのようなイメージをもっているかによって、会話の流れはずいぶん違ってきます。

コーチングの場合は、二人で同じ方向を向いて椅子に座るイメージを描きます。二人の前に大きなキャンバスを用意して、そこにクライアントがビジョンを描きます。コーチは、クライアントがのびのびと自由にビジョンが描けるように、そこに、コーチングカンバセーションを創り出します。

実際には、机をはさんで向かい合っていたとしても、コーチは、内側でそのようなイメージをもっています。そこにキャンバスがなくても、大きなキャンバスにクライアントが絵を描く様をイメージしながら、会話を進めます。何のイメージももたずに会話の中に入り込んでしまうと、相手の言葉や態度に影響されて、その会話におけるもともとの目的が達成されなくなってしまいます。

人と話す最低5分前には、会話全体を自分の内側でイメージしておくことで、相手の態度や言葉に対する、自動的な反応(刺激-反応)から自由でいることができます。会話の目的、自分が相手に伝えようと思っていること、相手とどのような関係を創りたいと思っているか、注意したほうがいい自分の態度や言葉の選択、相手が否定的であった場合、相手の状態があまりよくなかったときの対応、などについてイメージします。全部がイメージ通りにいくわけではありませんが、会話のイメージを創る練習を続けることで、イメージに近づけていくことは可能になります。

ゴルフも、上級者ほどイメージを大切にします。ビギナーはかたちにこだわりますが、プロゴルファーはイメージにこだわります。普段の練習でも、一球一球イメージをもちながら練習するのと、ただ漠然とボールを打つのとでは練習の効果も違ってきます。

また、イメージは、それを記憶しておくことができません。一度イメージしたら、ずっと使えるものだ思われていますが、イメージはその都度消えてしまうのです。ですから、毎回イメージを作る必要があります。今日部下と話す前に、部下の緊張をどうやって解くか、部下にやって欲しいことは何か、それをどう伝えるか、部下の話をどのように聞くか。この5分間のイメージは効果的です。それを続けていくことで、より鮮明なイメージを持つことができるようになります。

go Pagetop

「会話を観察する」

2003/08/26

コミュニケーションを交わしていて、そのコミュニケーションがどこへ向かっているのか、最初にイメージしたとおりに交わされているか、相手はこのコミュニケーションに満足しているか、など、現在進行中のコミュニケーションの最中で確認する必要がある事柄があります。今話している内容から少し離れて、そのコミュニケーションそのものを題材に話す手法、それを「メタ・コミュニケーション」といいます。

話している途中で、実際にその場を立って少し離れ、たった今まで話していた両者が見えていると仮定し、客観的に二人の会話を観察してみます。そして、気がついたことをお互いに話すのです。

「どう見える?」

「ちょっと堂々巡りしているように見える」

「そうだね、どうしたらいいと思う?」

「もう少し直接的にはっきりとものをいったらどうだろう、お互いに」

「なるほど」

メタ・コミュニケーションとはは、お互い客観的に、他人事のように、自分たちの会話を観て、それについて思ったことを伝え合う。それによって、今ここでの会話を飛躍的に改善することができるのです。

実際の会話の最中に、この方法を使うことはなかなか難しいと思いますが、自分の内側で「メタ・コミュニケーション」を創りだすことはできます。自分が立って、その場を離れ、今ここでの会話を少し離れたところから観ているイメージをします。そして、相手はこの会話に満足しているだろうか、自分は自由に言えているだろうか、何か遠慮していることはないだろうか、言おうと思って言えていないことはないだろうか、相手にもそれはないだろうか。このように、メタ・コミュニケーションを自分の内側で創り出します。

メタ・コミュニケーションは、自分の立場から離れて、相手の立場に立つことを容易にします。また、両者を同時に観察することもできますから、会話を建設的な方向へ向けることができるようになります。このように、イメージとして、物理的に「今ここ」の会話を少し離れたところから観察する視点を持つことで、コミュニケーションをもっと自分に引きつけてとらえることができるようになります。自分とコミュニケーションが近づくと、コミュニケーションの自由度が増します。

go Pagetop

「効果的な質問をする」

2003/09/02

コーチングは、「聞くこと」と「質問」に、特にポイントがおかれたコミュニケーションです。特に質問によって、コミュニケーションを創り上げていきます。一般的には、自分がわからない、知らないときに質問が使われますが、コーチが質問する場合には別の目的があります。

コーチは、知らないから聞くわけではなく、また、相手を諭すために質問をするわけでもありません。コーチが質問する目的の一つは、部下に考えさせることにあります。最初から答えが用意されている場合や、上司が考え、部下はそれに従うという構造のなかでは、自分で考え、自分から行動を起こし、自分で評価することのできる「自律性の高い」また「対応力の高い」人材の育成はできません。普段から質問を通して、部下に考える機会を与える。その視点をもって質問をします。

その他に、質問には、未来を予測させる、アイデアを出させる、そのアイデアを行動に移すためのアイデアを出させる、問題をはっきりさせる、目標までの過程を想定させる、視点を変える、モデルを探す、などの目的があります。

コーチやマネジャーには、今ここで、どれだけ効果的な質問を創りだすことができるかという能力が求められます。また、どんなにいい質問も、相手、タイミング、そして新鮮さがないと、部下の答えようとする意識にアクセスすることができません。前もって用意した質問や、答えを用意して誘導するような質問では、今以上のアイディアを望むことはできません。

質問をするときには、「この質問はどのような影響を与えるか?」。「今はいいタイミングだろうか?」、「答えるのにどのくらいの時間が必要だろうか?」、「答えを誘導していないか?」。これらを留意しながら、質問のタイミングを計るといいでしょう。

これまでは、会話を始めたり続けたりするために、話題の提供、うまい話し方などに注意が向いている傾向がありましたが、効果的に「質問」を創りだすことができれば、会話を始めたり、その内容を変えたり、終わらせたりすることができます。効果的な質問は、無限の話題を生み出します。

go Pagetop

「「What」で聞く」

2003/09/09

コーチは、質問によってクライアントに考える機会を与え、気づきをうながします。一般に、質問には二つの種類があり、一つはオープン・クエスチョン、一つはクローズド・クエスチョンと言われます。オープン・クエスチョンとは、質問に答える側が自由に答えを選ぶことができる質問です。一方、クローズド・クエスチョンとは、答えが、質問する側によって制限される質問です。「仕事がんばっている?」と上司に訊かれて、「いいえ」とはなかなか答えられないものです。この例のように、上司が自分の欲しい答えを言外に部下に要求している質問は、クローズド・クエスチョンです。また、上司に「どう、元気?」と聞かれれば、「はい」か「いいえ」でしか答えられません。これもクローズド・クエスチョンです。

さらに気をつけなければならない質問として「なぜ?」という質問があります。「なぜ、そんなことをしたんだ」、「なぜ、許可を得なかったんだ」というように、「なぜ」は 質問というよりは、詰問になりやすいからです。答えの限定されるクローズド・クエスチョンや「なぜ」の詰問を受けると、部下は返答に困ります。「この考えはどうだ、いい考えだと思わないか?」、「あの契約はうまく行ったのか?」。決断を急ぎたい上司は、ついこういったクローズド・クエスチョンをしてしまいがちです。それは、部下から考える時間を奪ってしまうことになります。

一方、オープン・クエスチョンは「それをやろうとした動機はなんだったんだ?」「何が今回の失敗を招いていると思う?」、「今、何が仕事の障害になっているんだ?」など、部下に考えさせ、自分を振り返らせることができます。オープン・クエスチョンの場合、多少長い答えが返ってくるかもしれませんが、導かれる結果は大きく違います。もちろんクローズド・クエスチョンが有効な場合もあるので、上手に使い分けることが大切です。

また「なぜ」と言いたくなったときには、それを「What」に置き換えて質問をつくる練習をしてみてください。その瞬間、頭の中でシフトが起こります。詰問から質問へ、押しつけから引き出す方向へ、シフトが起こることに気づくでしょう。

go Pagetop

「天使の目で包み込む」

2003/09/30

核家族化が進んだために、最近の子どもたちが祖父母と暮らす機会はずいぶん減りました。両親が子どもと接するのと、祖父母が子どもと接するのとでは、やはり違いがあります。両親には教育というミッションがありますが、祖父母は、ただ「孫はかわいい」と思っているだけでいいわけです。その祖父母の子どもを見る目は、子どもに「いつだって愛されている」、「いつだって好かれている」という思いを抱かせます。そういう目で見られる経験は、おとなになって、「言われなき万能感」につながると言われます。窮地に立たされたときでも、「自分は大丈夫だ」となぜか特に根拠もないのに、そう思えるのだそうです。その背景には、祖父母の視線を通して、自分が無条件に愛されたという意識が育まれたためだと言われてます。その頃の祖父母の目を、「エンジェル・アイズ、天使の目」といいます。

多くの人が、自分自身に対してもつ視点は、案外批判的です。「人に見せているほど自分の能力は高くない」、「気もちが定まらない」、「口で言っていることとやっていることが違う」、「もし、こういうことが誰かに知られてしまったら、きっと相手にされなくなるのではないか?」。そんな目で自分を見ていることが、ときどきあるのに気づきます。それに加えて自分の上司が、取調室の刑事のような目、地獄の入り口の閻魔様のような目、そんな目で見ていたとしたら、ほとんど意気消沈してしまいます。

確かに仕事や職場では、ある種の緊張感は必要です。プロとしてやるべきことはやるべきです。しかし人は、ベースに「安心感」があって始めて、自発的な行動を起こせるようになります。安心感は単に言葉だけで創られるものではなく、目の前の人の「視線」が大きく影響します。一度鏡に、自分を映して、自分が普段どんな目をしているのか、それから、エンジェルアイが創れるか、試してみてください。

ちなみに私は自分の子どもに、「最近どんな目をしている?」と聞くことがあります。

go Pagetop

「きぜんと要求する」

2003/10/07

指示命令はできても、要求を苦手としている人は少なくありません。「〜して欲しい」、「〜しないで欲しい」。そう言葉にするよりは、「〜すべき」という言葉や正論を表に出して、自分の要求を代弁することがよくあります。

確かに、自分の「要求」をはっきりと言葉にすることには抵抗があります。断わられたり、拒絶されるかもしれないことに対する危惧。また、もともと欲求、要求をよしとしない文化が背景にあることも、否めません。したがって、要求にまつわるリスクを避けるために、私たちは正論を言ったり、交換条件を用意したりします。

しかし、コミュニケーションの内容、目的の九割以上は要求にあります。要求を目的としているところが、コミュニケーションと会話の一番の相違点なのです。

コミュニケーションは単なる情報交換ではなく、相手に何かを要求することを目的としています。そこに要求があって初めて決断や行動が生じます。特に上司から部下へ向けては、指示命令ではなく、毅然と要求する必要があります。

なぜなら部下が会社を辞める理由のひとつが「上司が自分に何を望んでいるかがわからないから」です。遠まわしな話や、正論だけでは、部下は混乱するだけです。もちろん全ての要求が通るわけではありませんが、それも了解した上で、上司は部下に毅然と要求する必要があります。

また、よく不平や不満をいう部下がいますが、不平、不満を言うのは、、要望を口にできないことが原因になっている場合が多くあります。要求できないことが、不平や不満になって表われているのです。その場合は、不平、不満そのものを取り扱うのではなく、「何かしてほしいことはある?」、「してほしくないことは?」と、部下の要望を直接聞き出します。不平、不満の背後には、言葉にできていない要求があります。そうであれば、直接それを聞き出してしまう方が解決は早いのです。

go Pagetop

「成功を指摘する」

2003/10/21

あるとき、ロシア人のグループに野球を教えたアメリカ人のコーチがいました。そのロシア人たちは、それまでまったく野球などしたことがありません。しかし、コーチは彼らに、スリーストライクでバッターが交代すること、スリーアウトになったらチェンジ、ボールを打ったら一塁に向かって走る、などといった基本的なルールだけ教えると、彼らをふたつのチームに分けて、すぐに試合を始めさせました。当然のことながらほとんど試合にはなりません。バットの握り方にしても、みんな右手と左手を離し、バントをするときのようなバットの握り方をしています。もちろんその握り方ではバットを振ることはできませんから、ボールにも当たりません。しかし、そのコーチはそれを注意したり、直したりはせず、ゲームを続けさせました。

やがて、試合を続けるうちに偶然、右手と左手をつけてバットを握った選手がいました。するとコーチはすかさずその選手のところに飛んで行き「それだよ!」とバットを握る手を指差しました。できた瞬間をとらえて、「それだよ」と「アクノレッジ(承認)」したのです。すると次の打者から全員が同じように両手をつけてバットを握り、スイングするようになりました。

教えたり注意したりするのではなく、よく観察していて、もしかしたら本人さえも気がついていない、「動き」を指摘する。それがアクノレッジメント(承認すること)です。それはほめているのではなく、事実を事実として伝える行為です。上司はよくその反対をやってしまうものです。「ほら、またやった!」的に、失敗の方を観察してそれを注意することが多くないでしょうか。

アクノレッジメントは、うまくいっていること、これからうまくいかせようとしていることを部下がやったとき、そのことを指摘するのです。

・時間の約束を守ったとき
・ルーティーンの仕事に変化をもたらしたとき
・小さな創意工夫
・他人に対する思いやり
・気の利いた行動
・動きのよさ

くれぐれも自分の気に入った行動をとらせるためにアクノレッジメントを使わないことが大切です。

go Pagetop

「緊張を解く会話から」

2003/10/28

会議の始まりや、人と向き合ってすぐは、それがたとえ親しい間柄であっても、多少の緊張があります。お互いが緊張したまま会話を始めてしまうと、思うように会話を発展させることができません。

人が自由に話したり、聞いたりするためには、最初に安心感が必要です。会話のベースに安心感があって初めて、会話は創造的になります。会話には順番があり、一番最初には「アイスブレーク」つまり、緊張を解くための会話が求められます。初めて出会った人と話すとき、会議の始まり、打ち解けにくい部下や同僚、上司との面談や会議のとき、自分自身が緊張を感じているときなどにアイスブレークが必要になります。

会話にユーモアやジョークが求められるのは、それがアイスブレークであり、硬直した会話を開放するものだからです。しかし、ユーモアやジョークをタイミングよく使うのは、難しいものです。特に事前に用意したジョークを言って、却って場を白けさせてしまうこともあります。無理にジョークを言うよりは、自分が今感じていることや思っていることを、少し正直に話すことで、場を和やかにすることができます。たとえば「今、緊張している」。「誰か冗談を言ってくれないかと待っているんだ」、「自分は案外口下手でね」、「この会議でみんなが発言してくれると嬉しいんだけど」。正直に、今感じていることや、思っていることを話すことはとても効果的です。自分の状態を口にすることで、自分の緊張を解くことができると同時に、正直さにふれることで、周りの人たちは「安心」することができます。

私たちはそこに「生身の人」を感じることで「安心」します。15,000人のマネジャーに対するリサーチで、リーダーに求める資質の第1位は、高い能力や、野心ではなく、「正直さ」でした。よいリーダーは部下を鼓舞するだけではなく、安心させる能力が高いのかもしれません。

アイスブレークに笑いは不可欠ですが、笑いの源とは、特別なことではなく、ちょっとした気がかりが開放される瞬間でもあるわけです。無理に笑わせなくても、少し正直に自分を開示することが「アイスブレーク」につながります。そして、創造的な会話のために、もっとアイスブレークが求められているのです。

go Pagetop

「会話の沈黙に慣れる」

2003/11/04

会話を交わしていて、ふと沈黙が訪れることがあります。会話の途中で訪れる沈黙は、居心地が悪いものです。そのために、私たちは相手が話し終えると、即座に話し始めます。まるで、沈黙を追い払うために、話し続けているようなものです。

私たちはなぜ沈黙に不快感を感じるのでしょうか?

ひとつには、沈黙によって二人の関係が途切れてしまうのではないか、という怖れがあるでしょう。また、沈黙が続くと、そこに自分がそのまま表れてしまうような気がするから、ということもあるかもしれません。会話が続いている間は、お互いの話の内容に注意が向いていますが、会話が途絶えてしまえば、見せかけや、演技が途絶えてしまい、そこに生の自分が露見してしまうかもしれないとおびえているのです。

人と人が向き合えば、それなりに緊張があるものです、会話を交わしている間はその緊張感と直面しなくてすみますが、会話が止んでしまうと、その「緊張」を体験しなければならないという理由も考えられます。しかし、人と会話を交わすときに生じる緊張は、決して共有できないものではありません。逆に、緊張を共有することは相手に一歩近づく機会にもなります。

毎日顔を合わせている人であっても、向き合うと緊張を感じるものです。話しているときに、相手の緊張に気がつくと、私はその人に親しみを感じます。緊張は弱みではありませんから。私もそういう時は、心おきなく緊張します。

「緊張するね」

「緊張します」

緊張は立派な「今、ここ」での話題でもあります。

沈黙は会話の一部です。慣れるまでは不快ですが、沈黙を有効に取り入れてみることです。

go Pagetop

「会話の質を変える」

2003/11/11

沈黙は会話の一部です。慣れるまでは不快ですが、沈黙を会話の一部としてとらえることができれば、会話の途中で沈黙が訪れても、あわてたり、緊張することはありません。

実際、沈黙は会話に必要な時間です。会話の内容を咀嚼したり、頭の中を整理したりするための時間であり、いま交わしている会話が、自分にどんな影響を与えているか、自分の身体の反応を見る時間でもあります。また、目の前にいる人を、自分がどう感じているかということを感じるための時間でもあります。

多くの場合、会話をしていて、人は、自分が今感じていることを無視しているものです。話している間は、自分の頭の中の情報をアウトプットするのにいそがしくて、自分が感じていることを、感じるゆとりがもてないのです。しかし、会話には用意された内容だけでなく、いま、この瞬間、思ったことや感じたこと、これらの情報がとても大事なのです。お互いが生身の人間であることを感じながら話すことは、健全な会話を創りだす条件なのです。そうでないと、言葉だけが行き交うことになります。

部下と話していて、部下が答えに困っていたら、上司は、「ゆっくり考えていい。答えが見つかるまで、こっちは黙っているから」ということを伝えます。会話の中で、じっくり考えたいのなら黙っていてもいいのです。

沈黙は、会話の質を変えます。また、沈黙に耐えられるようになると、何のために話すのかについても、いままでよりずっとよく見えるようになります。沈黙を会話にうまく取り入れられるようになれば、相手がその瞬間自分が感じていることを感じられるチャンスを与えることになります。

沈黙を受け入れるためには、まず練習することが必要です。意図的に沈黙を創り出してみてください。

go Pagetop

「ほかの情報も伝える」

2003/11/18

部下に、期待や要望などを一方的に伝えても、それがきちんと伝わることはほとんどありません。それは、たった一つの情報だけでは、ひとが行動を起こすきっかけにならないからです。その場で、仕事を任されたことへのうれしさ、がんばろうという意気込みなど、一時的な感情を湧きあがらせることはできるでしょうが、それを行動に移していくこととは別です。

人間の細胞間コミュニケーションでも、同じようなことが起こっています。細胞はたったひとつの情報を与え続けると、「アナジー」という状態に陥ってしまうのだそうです。「アナジー」とは、簡単に言えば動けなくなる状態のこと。たった一つの情報では、判断することができないため、どうしていいかわからず、動けなくなってしまうのです。それを防ぐために、細胞から細胞へ情報を伝達する際には、伝えたい情報のほかに別の情報もいっしょに送られています。このことを細胞間のコミュニケーションにおいては、セカンド・シグナルと呼びます。

指示をしたあと、部下の行動がすぐに変わらないのも、情報量が少なすぎることに起因しています。ただ指示や命令をするのではなく、自分は味方であり、好意をもっている、という本来のメッセージ以外のもの、つまりセカンド・シグナルを発信する必要があります。

部下に声をかける、名前を呼ぶ、などだけでもかまいません。要求を伝えるとき、言葉にしなくても、声のトーンや、うなずき、顔つき、ジェスチャーなどで、セカンド・シグナルを表現することもできます。

部下が本当に行動を起こしていくよう働きかけるなら、部下を気にかけ、ともに喜び、助けが必要なときは手助けする、というメッセージを常に発信することが大切です。

あなたは一日に何回、部下の名前を呼んでいますか。部下をどんな目つきで見ていますか。どんな顔つきで見ていますか。

go Pagetop

「「部下を知る」努力」

2003/11/25

人を評価するとき、「好きか、嫌いか」で判断する場合が少なくありません。または、「損か、得か」「敵か、味方か」。一度「好きか、嫌いか」のように二極化して結論を出してしまうと、それ以上に相手を知る必要がなくなってしまいます。「だって、嫌いなんだから」。私はつい最近、この言葉を五十代の会社経営者から聞ききました。

さて、部下とうまく行かない上司、上司とうまが合わない部下、どんな組織にも、またどんなチームにも、対立の問題は起こっています。何度となく、この問題をテーマに話す機会がありました。そこで、対立している相手のどの部分が受け入れられないのかについて訊ねるのですが、理由はたいてい曖昧です。その実、嫌っている相手について知っているかという質問に対しては、偏った答えしか返ってきません。もちろん趣味や、家族関係、職歴など通り一遍のことについては知っています。また、仕事における能力については、それなりに理解しているようです。しかし、それ以上のこととなると、ほとんど気がついていないのです。たとえば、未来に向けてどんなビジョンを持っているのか? どんな価値観をもっているのか? 強みは何か? 仕事にどんな意味を見出しているのか? チームに何を期待しているのか?

「部下について知っていますか?」と質問すると、上司は「知っている」と答えますが、実のところ、部下の性格分析や仕事の能力については話せても、部下が今どういう状態にいるのか、どんな助けを必要としているのか、何を学ぶ必要があるのか、といったことについて知っているケースは稀です。

「部下と話す時間を持ってください」と言うと、「何を話したらいいかわからない」という答えがよく返ってきます。しかし、部下について自分が知りたいと思っていることだけではなく、部下が上司に知っておいて欲しいと思うことについても、聞く必要があるでしょうし、それだけの価値があると思います。

go Pagetop

「適性あるコーチとは」

2003/12/02

「自分にはどんなコーチが向いているか」、「どんなコーチを選んだらいいか」と聞かれることがあります。それはコーチに次のような質問をしてみることで判断できるのではないかと思います。

「コーチをつけていますか?」
「コーチングから具体的に成果を手にしていますか?」
「今もコーチングの勉強を続けていますか?」
「あなたが得意とする分野について教えてください」
「具体的にどのようにコーチングは始められますか」

コーチングは、常に進化しています。勉強を続けていないと、権威的な講師になりがちです。

「あなたのコーチングから何が期待できますか?」
「あなたから何を学べますか?」
「なぜコーチをしているのですか?」

コーチを問いつめるのが目的ではありませんが、投資に見合う成果を得るためには、最初が肝心です。質問に対する相手の反応を観察することもとても大事です、同時に自分の内側にも目を向けていることです。

この人に情熱は感じられるか
この人の正直さは感じられるか
この人は自分の人生を楽しめているか、ゆとりは感じられるか
権威的ではないか
自分が単に頼ってしまいそうな相手ではないか、

など。

あくまでも自分がうまくいくためにコーチを雇うのですから、コーチに依存してしまうのは問題です。

できれば、経験豊富で、博識、適切で、具体的であること。関心を引き出し、勇気づけができ、刺激的で、心からあなたをコーチすることにコミットしている。あなたを尊敬し、楽しく、さわやかで、正直で、信用ができ、誠実で、現実的な人が、望ましいコーチです。また、技術だけではなく、自分をそのような人間に成長させようと思っている人たちが、コーチの適性をもっていると言えます。

この資質は、上司といわれる人たちにも当てはまるかもしれません。

go Pagetop

「上司が守る「約束事」」

2003/12/09

子どもに、野球や水泳などスポーツを始めさせると、やがて親がプレイに口を出すようになります。やがては、親が夢中になりすぎて、子どものやる気を奪ってしまうことがあります。それは、組織における上下関係にも見ることができます。従って、部下をコーチするときには、上司もコーチを受け、いくつかの約束事を実行する必要があります。

1 絶対にプレッシャーを与えない。むしろ、プレッシャーを取り除く手助けをする。

2 部下の仕事ぶりを見ているときに、歯がゆく思う気もち、いらだち、否定的な感情を表さないようにする。否定的な感情を表すことは唯一、適切でない態度や不正な行為に対して許されます。普段はリラックスし、おだやかで、協力的な態度でいる。

3 ゲームに勝ち負けがあるが、それはある程度、時の運がついてまわる。それ自体を完全にコントロールすることはできないが、自分でコントロールできる部分に集中させるようにコーチする。次に勝者になるために、仕事で成功するためのキーが何であるかを見つけさせる。

4 その場の勝ち負けにこだわるのではなく、3年後、5年後のビジョンと照合しながらゲームや仕事を評価する。たとえば、3年後のより成長した自分から見て、今回の仕事に対する態度はどのようなものであったか?

5 親や上司の期待に応えるために、子どもや部下が存在しているわけではない。彼らは自分で自分に期待し、成果を創り上げてゆく。

私のコーチは、元はボートのコーチであり、アメリカとカナダのナショナルチームの監督でした。彼は口癖のように言います。

「君の未来、君のビジョン、君の成果、君が成功すること」。

そこには、明確な責任のエッジがあります。

go Pagetop

「強いチームを作る」

2003/12/16

企業の経営者が、コーチである私たちに求めることは、一般に、会社のムードをよくしてほしいというものです。会社の中のいいムードとは、おそらく会社の中における関係性に根ざすものだと思います。

よく「いい人材がほしい」という話をよく耳にしますが、いい人材が必ずしもいいムードを創るわけではありません。人材がキャピタル(資本)であるなら、見逃してならないのはソーシャル・キャピタル、つまり、人材と同時に社内で築かれる人間関係もまた、立派な資本であるという点です。社員の双方向のコミットメントや信頼によって築かれた関係を資本として考えるわけです。

たとえば、マネジャーにコーチング・スキルを学んでもらうその背景では、単に新しい管理システムを覚えてもらうのではなく、マネジャーと部下、チーム間で、いい関係を築くことがいかに大切かを提案しています。会社は仕事をするところで、それ以上の人間関係は求めない、という考え方をしている人もいます。しかし、強いチームとは、そのチームの一員であることに誇りをもち、また、そのチームを創り上げたことに対する自信を裏づけにして、激しく変化する状況に対応しているのだと思います。

現在、少しずつ組織の中でコーチング・カルチャーが根づきつつあります。それは、特別なコーチがコーチングをするのではなく、お互いがお互いを信頼し、お互いにコーチできるようなカルチャーが起こり始めていること意味します。

そのさきがけとして、経営者やマネジャーがコーチングを受け、コーチングを身につけることができれば、それはソーシャル・キャピタルの第一歩になると思います。

itoh.comトップ > 雑誌などへの執筆、連載誌 > 日経産業新聞『コミュニケーション術』

go Pagetop