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2017年12月22日(金) 「クラシック音楽」

TRFの「EZ DO DANCE」を聴いて、DJ KOOの真似をする人は見たことがない。だが、クラシックを聴いていて、興じるあまり指揮者のように腕を振る人は稀にいるのだ。双子の兄がそうである。だが、双子の弟の耳の中は20年間「Wow WowWar WowWar tonight」で占めており、クラシックが入り込む余地は微塵もない。ダンディズム溢れる紳士であるのなら、クラシックを嗜むようになりたいが、ダンディズムのかけらもなく、Ladies and gentlemenと呼びかけられた際だけの大分類的紳士なので、合理的な結論として、クラシックを嗜む必然性はないだろう。もし私がハプスブルク王朝の王子だとしたら、クラシック漬けに嫌気がさし、きっとトルコ軍楽に導かれるようにオスマントルコに亡命していただろう。「トルコ国家よ!トルコ国家よ!汝の自由を享受せん!祖国の敵を打ち負かし 忌まわしき奴らに絶望を与えん!」。このジェディン・デデンという有名なトルコ軍楽は、いまでもトルコ代表の試合前に流されるのだが、あまりに相手チームに対してリスペクトのない歌詞ながら、伝統を尊ぶ姿勢は実に素晴らしい。トルコ軍楽に血湧き肉躍ところで、「クラシック音楽」というお題から奔放に逸脱してしまったことに気づく。だが、汝の自由を享受せん!(HK)

冬は雪あられがちに凍りし風はげしくていみじう寒き...瀧廉太郎が日本のクラシック作曲家として名を馳せるはるか前に清少納言は日本の厳しい冬をこう詠っている。四季がはっきりしている日本では、古くから季節の移り変わりを題材にした作品が多い。一方で当時のヨーロッパでは、季節に応じて作曲者自身が移動し、そこで目にした情景や感じた感情を楽譜に落とし込んでいるように思える。話は変わるが、この時期世界中のオーケストラで演奏されるベートーヴェンの交響曲9番、年始にはドヴォルザークの交響曲9番「新世界より」という、いわば季歌として定着したイメージの強い二曲も、両者が作曲した渾身の最終交響曲ならではの迫力がある。どうしてもクラシック音楽はリズム感が無くて好きになれないと言いながらトルコ国歌にケチをつけるHKを横目に、私はトルコ行進曲を聞きながら今週を締めようと思う。皆様、良い週末を。そして良いお年を。(N)

僕がよく聞くクラシック音楽は、「惑星」。その中でも有名な「木星」。理由は単純で、子供の頃に、エレクトーンでアンサンブルをしたことがあるからです。あのフレーズが未だに頭に残っていて、それをリフレインしている感じで聞いているんだと思います。年齢的にか、もう新しい音楽が頭に入ることはないのかなと最近まで思っていたのですが、そんなことはないことがわかりました。Youtubでしつこく流されるキョウリュウジャーの、うぉうぉうぉうぉうぉうぉ、という歌が、頭に響く日々。ずるいな、と思うのは、多分娘(3歳)は、大きくなったらまったく覚えてないであろうこと。僕はこれを聞くたびに(聞くことがあるとも思えないが)娘のことも一緒に思い出すのだろうということ。宇多田ヒカルのデビュー曲は、北極のテントでカセットで聞いていました。僕の彼女がくれたテープなんだ、と仲間のノルウェー人に言ったら、え!古い彼女?とか言われて、いまいち彼女がいるという事実を信じてくれなかったような空気をなんだか久しぶりに思い出しました。キョウリュウジャーは、確かに娘が見てます。僕も見てますが。(T)

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