itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。
2017年6月9日(金) 「ロック」
ロックといえばエイトビート、というのを聞いて、ジャジャ・ン・ジャー・ジャ・ン・ジャ、というのをギターで練習してみた学生時代。手を動かせば音はでるものの、たいしてうまい筈も無い。ピックを持たずにやってみたり、歌ってみたり。立って引いてみたり、足でリズムをとってみたり。結局、ギターをがちゃがちゃしながら大声で井上陽水を歌ったり。Fは抑えられるようになるものの、弦が切れたので買いに行くと、種類が多くてびっくり。そんなギターとのゆるい触れ合いはロックには程遠かった。山を登っているとき に、先行するアメリカ人のKくんが、「ロ~~~ック!」と叫んでいて、なんでアメリカ人はこんなときにそんなことを叫ぶのか、と思っていたら、大きな岩が落ちてきたときのぞくっとした感じの方が、たぶん、ロックっぽいんだと、今でも思っている。(T))
エディターMは今日は休みということで、彼女とロックについての関わりについて紐解きたい。彼女のあの外面と内面、そして生き方はロックそのものである、というのは本稿の都合によるでっちあげであるが、そんな彼女は遠い昔テレビ局で働いていたことがあったらしい。ある日、一人の男から電話を受けた。男は電話口でこう言った。「ロックやってる内田です」と。ロックやっている内田、というだけで、我々はなぜ個人を特定できてしまうのか。人畜無害な小市民として、ロックの意味するところは何かはわからないが、ロックといえば内田裕也、ロッケンロールといえば内田裕也、シェケナベイベーといえば内田裕也というのを擦り込まれているらしい。(HK)
クイーン、ジミー・ヘンドリクス、グリーンデイズ。名前は知っているが、あまり詳しいことは知らない。いや、このジャンルは全く知らないと言ったほうがいい。桑田佳祐以上に何を言ってるか分からないのだ。ギターやスピーカーを見てもどれもが同じに見える。が、知っているものを強いて一つ挙げるとしたら、京都・龍安寺のつくばいがある。中心には水の溜まる正方形のくぼみがあり、外側の四方には漢字の部首が散りばめられている。吾唯足知の解釈はいくつかあるが、欲しがることをやめ自利利他の精神を持てという一説は時代背景なども知れば何となく理解できる。だが実際のところは、絵文字やらステッカーやらに慣れた現代人にとっては理解できない言葉であろう。要は、理解しづらいが故、意識して耳を傾けなければならないのかもしれない。今日の帰り道のサウンドトラックはお勧めしていただいた矢沢永吉で決まりだ。皆様、良い週末を(N)