Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2017年5月26日(金) 「犬派猫派」

僕は猫も好きですが、犬の方が少し好きかも。子供の時(小学校1年生くらい)に公園で遊んでいた時、なぜか大きな犬になつかれ(からまれ)、その飼い主を探して、飼い主と疑わしい家を何件も回った(ピンポンダッシュではない)ことがあります。その犬が後日現れ、アパートに逃げ帰った私を追いかけ、階段を登ってドアをどんどんしたという思い出があります。猫との思い出は何もありません。そんな思い出でも、思い出のある犬の方が好きなんだなと思います。(T)

幼稚園の頃、家族で居候していた牧場主の大きな犬に追いかけ回された。小学校の頃、隣の家の5匹くらいのミニチュア・ダックスフンドに追いかけ回された。中学校の頃、空き地で同級生の飼う犬は投げたフリスビーではなく、私を追いかけ回した。トルコの田舎町で、夜遅くハマムから安宿への帰り道、ドーベルマンにつけられた。犬が怖い。私に大きな知見をもたらしてくれた浦沢直樹の『マスター・キートン』によると、犬は世界最強の動物だという。私の「犬怖い」という感情はあながち間違っていなかったのである。室内で犬を飼っている人もいるが、いつ寝首を噛まれないか不安でないのだろうか。まだ毒蝮斎藤道三を家に入れた方が、言葉の通じる人間である分、安心だ。かといって、猫派というわけでもない。二元論主義を廃すべきだ。猫を飼っている友人の家に行っては、臭いと抜け毛によって、帰る頃には必ずアレルギー反応で涙と鼻水でぐちゃぐちゃになる。そもそも猫というのは、鍋島の化け猫騒動に象徴されるように、恐ろしい野獣である。とはいえ、道端やペットショップで見る子犬や子猫はなぜあんなにもかわいいのか。目に入れたいほど、口に入れたいほどにキュートである。もしかしたら子犬や子猫から育てれば、大きくなっても愛情いっぱい。犬派の前では犬派と、猫派の前では猫派と、政界の風見鶏こと中曽根元首相のごとく振る舞えたかもしれない。だが、小さい頃さんざん釣ったザリガニの存在を忘れて干からびさせた前科があるので、命の大切さを学んだ大人としてはペットを飼わないポリシーがある(勝手に家に住み着くハエ、ゴキブリ、シロアリ、ネズミなどはペットではない)。したがって、犬派にも猫派にも所属しない。徒党を組まぬ一匹狼、光栄ある孤立を選ぶ無派閥である。(HK)

犬も猫も飼ったことはないが、どちらかといえば犬派だと思う。かつては鬼ヶ島に渡った勇敢な犬がいいと思ったが、最近は某通信会社の”お父さん”くらいくだけた犬でもいいかなと思う。ゴールデンレトリバーや秋田犬など、いわゆる中・大型犬に分類される類は良いが、一昔前に近所で爆発的に増えたペット犬は今にも足が折れそうな小型犬ばかりである。吠え声は耳を擘く高音域な上、番犬としての出番はないどころか、家の中での暴れっぷりを聞くたびに、やはりハチ公は利口な犬だったのだなと妙に納得するのである。かといって猫も好奇心旺盛ゆえ色々と手間がかかる。面倒なことは避けたいので、やはり一番の”ペット”は初夏の夜にセミの羽化を観察するので十分だ。夜が明けて、犬猫に追っかけまわされる前に。皆様、良い週末を。(N)

絶対的に犬派である。猫も好きだが、やはり犬がいい。小さい頃、飼っていた犬を亡くしたことが大きなトラウマになっていて、それ以来犬を飼えずにいた。しかし一念発起し、犬が欲しいという子供のために犬を飼うことにした。下見に行ったペットショップで、子供が即決。名前まで決めた子犬がいた。引き取りの日を決めて、家の準備を整えている間に、家人の様子がみるみるおかしくなって行った。具合が悪いと。まさかの犬アレルギーであった(TT) なんとかできないか、検討したが、泣く泣くその子犬を断念した。うちの子には本当にかわいそうなことをした。また別の形でトラウマができてしまった。それでも私は犬派である。(M)

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