Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2017年2月3日(金) 「スーパーボウル」

アボカドの話しである。普段はタコスやトーストの上に乗ることが多いが、今週末は多くの家庭でディップとなってアメリカにおける年間消費のピークを支える。「一番祝日っぽい非祝日」と比喩されるこの週末、全米の家庭は団欒の午後を過ごした後は、アボカドディップとチップスを抱えながらテレビの前に釘付けになる。年間のアボカド消費量が現在の規模まで大きくなったのは、アメリカ国内におけるヒスパニック社会の浸透があると考えられていて、今となっては感謝祭は七面鳥、スーパーボウルにはアボカドディップとの認識が広く受け入れられている。今後壁の向こう側からくるアボカドにはより高い関税が掛けられると話題になっているみたいだが、アメリカ人はその現実を受け入れているだろうか。スーパーボウルの慣習も変わってしまうのだろうか。何といっても今年の頂上決戦に挑むチーム名が「ペイトリオッツ」に「ファルコン」とは、相変わらず愛国心の強さを象徴するイベントであることに間違いなさそうだからだ。ただ、『なぜアメリカ人はスポーツの中に「間」を求めるのか』というHKの問いに、私は思いの外詰まってしまった。バスケに野球に、アメフト。指摘に当たる「間」、特にアメフトにおいては、コーチとプレイヤーが次々に変化する作戦を確認する貴重な時間なのだが、浦和レッズをこよなく愛する彼にとって、それはただの言い訳としか捉えられていないようだ。私としては、何としてもこの議論を「タッチダウン」させてから今日は退社しようと思う。皆様、良い週末を。(N)

スーパーボールは大人になっても楽しいが、スーパーボウルの楽しさを見出すことが未だできずにいる。スーパーボウルの中継を一度少しだけ見たことがあるが、時間は全く進まず、やたらと休んでいるように見える。間に次ぐ間、間間間間。選手はおしゃべりし、観客は試合中なのにやたらと買い食いし、とても試合に集中しているとは思えない。いやいや、そうではないとエディターNは言う。あの間はコーチとプレイヤーが次々に変化する作戦を確認する貴重な時間だと。その通りかもしれないが、園児の頃からサッカーばかり見ていると、アメフトはまるで赤信号だらけの道を運転しているようで、気の短い私はイライラしてしまうのである。作戦の確認などプレーしながらやれと。観客もこのビッグなスポーツイベントをエンジョイしている。殺伐とした緊張感とその反動の身体中のアドレナリンが大爆発する歓喜こそがサッカー観戦の醍醐味と刷り込まれている私にとって、チームが不甲斐なかろうと「男たるもの口より行動を」「言い訳無用」「繰り返される無気力試合」「口先だけの理念とビジョン」「不明確で一貫性のない強化」「このクラブの本当の癌はどこだ!?」といった横断幕が掲げられることの決してないスタンドでヘラヘラと談笑しながら楽しむ観戦スタイルは肌に合わない。とはいえ、狭量の私がどんなに理解できなかろうと、アメフトの人気は米国では絶大であり、スーパーボウルは米国最大のスポーツイベントである。モンロー主義であり、アメリカファーストにひた走るアメリカ合衆国一国のローカルスポーツであり、ローカルイベントと揶揄したところで、スーパーボウル中継のCM出稿料金は30秒は500万ドルという高騰ぶりで、アメフトの楽しさを見出せない私はやはりただただ見る目がないだけかもしれない。もしかしたら、じっくり見れば実は面白いかもしれない。今年のスーパーボウルは見てみたい。(HK)

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