Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2017年1月20日(金) 「サードプレイス」

以前、家には逆門限(子供が寝るまでの帰宅禁止)があるので、退社してからの時間を持て余した場合、近所の退廃した地方競馬場のスタンドで本を読んだり、スマートフォンをいじったりしていると書いた。こここそが、仕事でも家庭でもない私にとっての第三の居場所ではないかと思える。だが、サードプレイスという概念を提唱したレイ・オルデンバーグによると「さまざまなプレッシャーから開放され、創造的な交流が発生する中間の場」という。平日夜の地方競馬場のスタンド。馬に託した夢破れて呻き苦しむ大人を解きほぐすほどのコミュニケーション力は乏しいどころか、馬券の買い方すらわからないお子様な私には、とてもこのスタンドが馬に夢見る大人たちとの創造的な交流を促進する場とは思えない。そもそも夢見る大人たちは交流を求めているのではない。馬との真剣な勝負にここにいるのである。サードプレイスなどという概念など微塵も考慮すべきではない場である。ようするに場違いは私なのであり、せめてカフェで時間を潰せるだけの小遣いを支給せよということなのである。(HK)

私のコーヒーショップ(Sのつく)の利用頻度はかなり高い。集中して何かをやりたいときは、家よりもお店のほうが、はかどる。私にとってのサードプレイスは、Sのつくコーヒーショップに他ならないのだが、残念なことに食べ物があまり好みではないため、数日連続で通うと、ちょっとうんざりしてくる。スペースは申し分ないし、Wifiも使えるのに。食べたいものがないため、長時間いることが難しい。もしや、長時間いられないための店側の戦略なのだろうか。今週末も2度ほど利用しようと思っているが、今から何を注文しようか、悩んでいる。それでも行ってしまうのは、やっぱり私にとってのサードプレイスなのだろう。(M)

「アメリカン・リーグじゃ、やっぱりヤンキースが一番だ」。老漁師サンチャゴは漁を終えて陽の照りつけるハバナの魚市に行くと、決まって鑵ビール片手に漁師仲間と野球の話になる。20世紀の文豪ヘミングウェイは、キューバ人の日常生活、いや「サード・プレイス」を見事に文章で描写している。特に用はないが、コミュニティーライフの形成の中で「落ち着き」や「楽しさ」を求めて人は集まってくる。カフェや公園など、自宅や職場にはない心地よい居場所は誰でも一つや二つはあろう。落ち着いた雰囲気の中でゆるやかにジャズが流れるカフェや、家族同士や市民の交流の場となる公園は、休日ともなれば多くの人でごった返す。ただしそれに留まらない、「サード・プレイス」のその先にある各々が持つ居場所を私は『フォース・プレイス』と提唱したい。それはファースト・プレイスからサード・プレイスで元々得られると考えられていた成果を、120%、いや200%とより大きなものにする「自信」や「モチベーション」、「感動」といった、その人の情に訴え前に進むべく背中を押す作用を生む場所だと考える。映画館、オペラ劇場、野球場、YouTube…どこでも、何でもいい。これも一つや二つ、誰でもあるのではないか。もしかしたら、その時に経験した感動の記憶が、仕事や私生活の成果や出来事とリンクしていないだろうか。私にとっての「フォース・プレイス」とは、地球の営みを感じることができる大自然である。緑があって青があって赤があって。たまには説明がつかない様な色もあって。上から見ても下から見てもいい。その状況を上手く説明出来ずに、ひたすら「すげー」と言っている人がいたら恐らく私の事だ。その中でも特に日出と日入は格別だろう。水平線の彼方が少しずつ明るくなったと思ったら、炎の様な光線が目に飛び込んで来て、あっという間にまん丸の陽は顔を出す。日の丸の事をThe Rising Sunとはよく言ったものだ。何度見ても飽きることがないこの光景こそ、逆境の中でも困難を乗り越える活力の源となる。今日は暦上「大寒」である。日の出も日の入りも見られないが、せめて遥か彼方に輝くオリオン座だけでも少し眺めようかと思う。よく考えてみるとファースト・プレイスからフォース・プレイスまで、割ける時間は逆三角形になる。「あなたなら『フィフス・プレイス』を何にしますか」。恐れ多いが、是非ともマズロー師匠に聞いてみたい。皆様、良い週末を(N)

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