Editor's Room

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2016年12月9日(金) 「首都」

10車線はあろうか。高速道路よりも広いその道路は何キロにも渡って続いている。にもかかわらず見渡す限りほかの通行車はない。然許り不気味な光景だった。これが一国の都だとはいささか信じがたかったのである。その時、私はミャンマー(旧ビルマ)の首都ネピドーにいた。ベネチアじゃあるまいが、海岸沿いにある旧首都の冠水を恐れた旧軍政が10年ほど前に首都を移したのだという。紫電一閃、何という思い切りの良さ。町にひと気はなく、政府機関ビルとビジネスホテルがポツンポツンと散見される景色はまさしくゴーストタウン。同行していた現地人曰く、有事の際にはこの幹線道路が戦闘機の発着に使われるのだという。平和ボケしきった頭を回転させながら思った。現代の東京に住んでいると、首都が動くなんて想像もできまい。東京が「マック」で関西は「マクド」だなんていう鍔迫り合いを交わす覇権争いはもはや論外か。首都=最大都市=東京という等式が成り立つ固定概念をもって育った小生だが、世界を見渡せばそうでもないことに気づく。オーストラリアはキャンベラ、カナダはオタワ、ナウル共和国は首都そのものがない。そんな事を気にしているうちに、ホワイトハウスとペンタゴンがマンハッタンの一等地に移転しているかもしれないと思うとぞっとする。「モーリタニアの首都は、ヌアクショットだ!」という、ある昼下がりにHKと交わされた良く分からない会話がきっかけで決まった今週のこのお題。世界はまだまだ広く、見足りないのだ。インバウンド2000万人目標もいいが、アウトバウンド2000万人という目標は、主観が入りすぎだろうか。我が国は海岸沿い都市しかないんだ。思い切りが良くないと。皆様、よい週末を。(N)

遥か高みから見下ろしてみれば、目くそ鼻くそ。五十歩百歩。ドングリの背比べ。同じ穴の狢。東京に行くことを上京とは言わない京都に、法的根拠もないのに都立大を首都大学東京と改名する東京。なんと醜悪な争いか。遥か高み、つまり地理的に標高の高い秩父山中から見下ろしてみたところで、武蔵国でも復活しない限り首都になりようがないので、首都論争なんてちっぽけなプライドの争いに過ぎない。京都に言いたい。首都が東京である法的根拠はないというが、タンザニアの首都は法的にはドドマであり、ボリビアはスクレ。なのに、皆が首都と認識している都市はダルエスサラームであり、ラパスではないかと。東京に言いたい。地方出身者の雑住地のくせに埼玉をダ埼玉ク埼玉と侮辱するなと。首都でなくても国内ナンバー1の都市は枚挙にいとまがない、ほどではないが数多い。ニューヨーク、シドニー、トロント、上海、サンパウロ、イスタンブール、ヨハネスブルク、カサブランカ、ラゴス、ドゥアラ、ヤンゴン、コロンボ、アルマトイ。それでも埼玉が国内ナンバー1都市になる見通しがどうやっても立たない。ただ、カイロに対するギザ、ハルツームに対するオムドゥルマンのように首都のコバンザメとして我が埼玉は、栃木、群馬の人たちにとって「大宮駅のまめの木の前は人が多くて怖い」と畏怖される存在である、はずだ。(HK)

なかなか難解なお題である。きっとHKなら、いろんな国の首都を知っているだろう。それどころか、その首都の前身の都市名まで知ってそうだ。ああいった知識はどこで仕入れるのだろうか。そういえばHKは地理だけでなく、歴史にも詳しい。社会の成績はきっと良かったであろう。「首都」と聞いて、HKのことしか浮かばない自分の知識のなさに驚いた。(M)

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