itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。
2016年12月2日(金) 「制服」
制服のある会社で働きたいという、うっすらとした願望がある。もはや、かなわない夢となりそうだが、ロッカールームで同僚と昨日見たテレビの話で盛り上がりながら着替えるのは、なんだかとても楽しそうだ。ただ残念なことに、びっくりするほど、制服が似合わない。ずっと昔、制服のある会社で働いている友人とルームシェアをしていたことがある。制服にあこがれを持っている私は、友人にお願いして、その制服を試着させてもらった。普通、多少似合わなくても、それなりのお世辞を言うのが友人というものだが、試着した私を見て、「うわ、地味っ。制服のない会社で良かったね」と友人は言った。否定することもできないほど、本当に似合ってなかった。何がいけないのか、しばらく考えたが、結論は出ずに現在に至る。もしかしたら、年齢を重ねた今なら、似合うかもしれない。いや、それはないか・・・。(M)
「それはもう、心配だよ」。ドイツ人の友人は私の倍くらいあるビールジョッキに手を伸ばしながら苦笑いする。「まーそうだよなー」と当たり障りない返答しかできない私。「やっぱり、ホームで勝てないと、さ」。残念ながら、ブンデスリーガの話ではない。来年の選挙の行方についてらしい。彼曰く、今年は既にイギリス、アメリカとサプライズが連なったが、来年もオランダ、フランス、ドイツと数珠繋ぎになる、という事らしい。「時代の流れかな」とボソリ。再び「まーそうだよなー」と返す私。時代の流れといえば私にも気になることがあった。最近、母校の中学校が近隣校と統合した事をきっかけに、長い伝統であった学ランとセーラー服が廃止になり、ジャケットとブレザーになったのだ。そう、公立校の統廃合がある地域である。高齢化どころか過疎化もいいところだ。校舎は残ったが、名前も校歌も制服も変わってしまっては母校と呼べるのかも怪しい。学ランの学生は時代の流れなのか最近減っているように感じる。それにしても、と思う。入学時の写真に写る自分はダボダボの学ランに着せられているが、毎年10センチずつ身長が伸びた卒業時は違和感なく着ているようにも見える。入学前の採寸時に「もう少し大きめで!」という母の心境はいかに。そう言えば自分も学ランを着ていたなと思いながら自宅で確認したら、しっかり第二ボタンがあった。誰も欲しがらなかったのか頑なに断ったのかはご想像にお任せしたい。一国の未来を心配する友人と、片や母校の制服変更を憂いる小生。今やスーツという制服を身に纏って、先行きを案ずるべきが国の行方に移るころには息絶えているかもしれないことを考えると「時代の流れかな」と呑気に言っている場合ではない。それはもう、色々と心配だよ。皆様、よい週末を。(N)
白衣を着て「燕雀安知鴻鵠之志哉。返り点に従って読んでみなさい」と生徒に問う。理科を教えるわけではなく、漢文を教えているのに白衣を着る羽目になったのは、塾講師のアルバイト先の制服が白衣だったからだ。年齢の近い高校生の生徒と大学生講師を明確に区別ためだという言い分らしいが、白衣を着て文系科目を教えるのは全く様にならない。理科だと様になるのだが。しかし、そもそも実験するわけでもないのに、理科の教師が白衣を着たがるのは何故か。漢文の教師が李白のような服装を、古文を教える教師が十二単を着るようなものだと思う。私が最も不思議に思うのは体育教師である。保健の授業でもジャージを着たままなのは何故か。私たち生徒は体育の後、汗だくの中、シャツを着てネクタイを締め、ブレザーを着なければならない。それなのに体育教師はジャージのまま。体育教師は生活指導も兼ねており、生徒の服装の乱れに無闇に厳しいが、そのジャージは服装の乱れではないのかと、ブツブツ文句の一つでも言いたくなる。しかし、生徒には制服の規定があるので、品行方正な生徒である私としては唯々諾々と受け入れ、真面目にネクタイを締め、ブレザーを着、ボタンもちゃんととめる。入学から卒業まで服装の乱れの嫌疑をかけられることはなかった。そして卒業式では、第二ボタンに伸びる無数の女子の手を払いのける想像をしながら守り通した。男子校だったので、もし第二ボタンを求めて伸びる手があったとしたら、それこそがダイバーシティだ。(HK)