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2016年10月21日(金) 「苦手な教科」
家庭科で、パジャマをミシンで縫ったときのことは、今でも覚えている。昔、私の中学にあったのは、今の若者はきっと知らないであろう、足踏みミシンだ。私が使うと、前に進まず、なぜかいつも逆走する不思議な製品だ。あれでスイスイ縫物をしていた同級生が、どれだけ羨ましかったか。結局、学校でミシンを使うことは諦め、家の電子ミシンで作業を進めた。さすがに自分で縫ったが、とても上手とは言い難い出来栄えになった。それから数十年がたち、子どもの入園で、大量の袋物を用意しろと言われた。基本はどうも、親の手づくりらしい。昔のイヤな思い出も薄れていたので、安いミシンを購入し、巾着を縫ってみた。普通、数時間で終わるであろう作業が、出来上がった頃には、東の空が白んでいた。たった巾着ごときで、徹夜になったのだ(-_-)。残りの布団カバー(掛け敷き両方)や、手提げバック、マグカップ入れなど、作れるわけがない。もはや雑巾ですら怪しい。諦めた私は、ネットで探し、購入することにした。すべて手作り(他人の)。かゆいところに手が届くビジネスのおかげで、命拾いした。苦手なものは、どれだけ時間がたっても、苦手なままということを実感した出来事だった。(M)
年号の語呂合わせのなんと美しいことか。「いい国つくろう鎌倉幕府」。新しい国家建設への希望に燃える源頼朝の輝く瞳が想像できる(無粋にも1185年鎌倉幕府開府に変わってしまったが)。「泣くよウグイス平安京」。なんと京都らしく美しく趣深い情景か。「納豆平城京」。納豆巻きうまい。中世から近世への時代の移り変わりと文明のエクスチェンジという世界史上でも最重要な史実である1453年のコンスタンティノープル陥落。語呂合わせは「一夜の誤算 艦隊山越え」である。意味のない語呂合わせではない。金角湾の入り口を鎖で封鎖している難攻不落であるビサンツ帝国のコンスタンティノープルをメフメト2世はいかにして攻め落としたのか。この語呂合わせ文字通りの奇策で湾内に艦隊を導き、歴史を動かしたのである。奇策をそのまま語呂合わせにする美しさ。「歴史」とは本当に素晴らしい教科である。歴史にとどまらず「社会」という科目は幾度もなく私の落第危機を救ってくれた。比較して、「水兵リーベ僕の船、七曲りシップスクラークか」。リーベとは人名かそれとも別の何かなのか。調べるとドイツ語で「愛する」だと。理系はすぐドイツ語を使いたがる。癇に障る。「七曲りシップスクラークか」に至っては全く意味が分からない。そもそも化学の属する理科という科目に私は苦しみ続けた。物理?地面に落ちる前にリンゴはちゃんと苅りとれ。もったいない。ましてや数学なんぞ、私を幾度となく落第の淵に追いやった巨悪の存在である。方程式?全く覚えていない。今の私は中学1年生の1学期中間試験であっても赤点を取る自信がある。ただ、「数学は実社会では使わないから勉強する意味がない」などと言うつもりはない。全てのことは数式で成り立っているとまで思っている。しかし、ただただ苦手なのである。素数は美しいという人がいる。私は「スリジャヤワルダナプラコッテ」を美しく思える人間なのだ。私には夢がある。それは、いつの日か、「クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」を暗唱できることを(I have a dream that one day I will recite "Krungthepmahanakhon Amonrattanakosin Mahintharayutthaya Mahadilokphop Noppharatratchathaniburirom Udomratchaniwetmahasathan Amonphimanawatansathit Sakkathatiyawitsanukamprasit".)。(HK)