Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2016年2月12日(金) 「善意」

私は常々正直でありたいと思っている。素直に生きようと思っている。従って、会社であまり怖くない人からのちょっとした依頼案件が終わった際、正直に「のど乾いたなあ」とつぶやいてしまう。ただのつぶやきであり、魚心あれば水心のような要求ではない。花火が上がれば「たまや」と言うような様式美である。それなのに、善意の満ち溢れている方々の多い当社においては、スっとコーラを持ってきてくれる人が多い。「あの人はコーラを持っていくと何でもしてくれるらしいよ」やら、「コーラを持っていかないと何もしてくれないらしいよ」という噂もあり、手玉に転がされているのか、軽蔑されているような気もしなくもないが、私は素直に皆様の善意と捉えたい。「あの人は何を考えているか分からない」と不気味に思われるより、私をモチベートさせるにどうコミュニケーションを取ればいいか分かりやすく提示している方がいいのではないか。こうして、無能な田沼意次という救いようのない人間となってしまい、能力面のみならず倫理的にも公務員や政治家になってはいけない体質になってしまった、公務員や政治家になるつもりもないし、どうせなれないし。そんな中、一人の同僚のちょっとした依頼に応えた際、様式美で「コーラ飲みたいなあ」とつぶやいたところ、後ほどオシャレなコーヒーショップのチョコレートを持ってきてくれた。「みんなコーラだから、つまらないと思って」とのこと。世渡り上手なら溢れんばかりの感謝の意を示すだろうが、私は正直である。10年近くも一緒に仕事してきたにもかかわらず、スイーツ嫌いの私にチョコレートなんか買ってきやがって露骨に嫌な顔ををしてしまった。「せっかく買ってきたのに、ひどーい。」「ただただ悲しい。」とのこと。その通りである。ただ、私は元広島カープのジャレッド・フェルナンデス投手のナックルボールのようなチョコレートではなく、伊良部の清原に対する直球勝負のように、コーラがいいのである。何はともあれ、またしても悪評を一つ増やしてしまい、会社の居心地がさらに悪くなった。(HK)

駅前でボーイスカウトの子どもたちが「赤い羽共同募金」のお願いをよくしている。子どもに小銭を渡し、募金箱に入れてこさせるが、果たしてこれは「善意」なのだろうか。あの子ども達からの呼びかけを無視できないという、気の小ささの表れではないだろうか。その証拠に、募金はいつも小銭(決して500円玉ではない)、受け取った赤い羽もしっかりと身に着け、再びその前を通っても、「もう、やりました」という無言のメッセージを送っている。なんとも小さい。人間として小さすぎるではないか。かといって、通るたびに募金をしたり、堂々とお札を募金箱に入れられるほどの経済力もない。募金をしているのに、なぜかちょっと後ろめたい。きっとエディターを読んでくれている人の中に、同じような人がいるんじゃないかと、ちょっと期待してみよう。(M)

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