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2015年7月24日(金) 「修行」
修行という面倒なことを人生でしたことがあるかというとなかなか思い出せないが、小学6年生の夏休みの勉強合宿は数少ない修行の一つに数えられるかもしれない。当時埼玉の中学受験業界で覇を唱えていた、今は無きY田義塾という学習塾に通っていた。小学校最後の夏休み、呑気に友達の家に入り浸ってガリガリ君をかじりながらファミコンでもやっていたかったが、塾に入ってしまった以上、毎日夏期講習に通わざるをえず、挙句の果ては志賀高原への勉強合宿への強制参加である。いつもヘラヘラニヤニヤしていたせいで、バス酔いによる嘔吐予告を先生に訴えても「嘘つくな」と一蹴されて、ほうほうの体で辿り着いた合宿所。朝から晩まで、授業と自習でみっちりである。居眠りしたらもちろんのこと、答えを間違えただけで、『応用自在』という分厚い参考書の角で頭を殴られる。今なら、明らかに体罰だが、当時はおおらかなのである。何日かそういう生活が続いた最後の夜。頭が朦朧としているのだろう。「♪ 今がそのとき 今日がそのとき ときめきの時 Y田義塾~」と存在意義不明な塾歌を歌いながら、キャンプファイヤーを囲んでみれば、「あぁ、ボクも受験がんばろう」と奮い立ってしまうのであった。だがしかし、この修行は受験の成功とは全く無関係だったのである。(HK)
子育ては「己育て」とか言われることがあるが、子育ては「修行」でもある。夜泣きをすれば、こちらが泣きたくなるのを抑え、空が明るくなってくるまで、抱っこを続けるしかない。身体的にもメンタル的にも限界を迎えても、放り出すわけにはいかない。病気なんてしようものなら(そして、頻繁にするわけだが)、さらに修行のレベルが上がる。うちの子は入院3回、救急車に4回というなかなか手がかかる子だったため、修行のレベルとしてはかなり上のほうだったと思う。病気が減ってきた頃、今度は別のステージの修行が待っていた。「反抗期」である。そしてこのステージは、噂によると、何度もやってきたり、とても長く続いたりするらしい。むむ・・・。子どもの成長と共に、この修行の終わりに見えてくるものを楽しみにして、日々、精進したい。(M)