Editor's Room

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2015年6月12日(金) 「スパイス」

ヒンディー語が堪能な友人がいる。彼女の家にはスパイスがたくさんあって、遊びに行くと、スパイスをゴリゴリと挽く(すりつぶす)音を響かせて、いとも簡単にカレーを作ってくれる。カレーの種類も豊富だ。あまりに手軽に彼女が作るので、自分にもできそうだと勘違いして、作り方を教えてもらった。スパイスを安く買えるお店も教えてもらった。作るならスパイスを分けてあげると言われたが、自分で全部そろえるからと、断った。それくらい意気込んでいたのに、いまだ一度も作っていない。作っていないどころか、スパイスすら揃えていない。まあ、自分でもこんなことになるだろうと思っていたけど、予想通りの結末である(笑)。今回のお題のおかげで、また、やろうと思っていたのに、やっていなかったことを思い出すことになった。頑張れよ、私・・・。(M)

「そもそもの始めから、世界がこのすばらしい母なるインドに求めたものは何だったかと言えば、答えは明々白々なのさ」と母は言った。「人びとはぴりっと辛いスパイスを求めてやってきたのさ、男が尻軽女を求めるようにね」(サルマン・ルシュディ『ムーア人の最後のため息』)。「どこぞに尻軽女いねが」と求めているかは割愛するとして、食事の際、頻繁に胡椒を求めるのは事実である。胡椒はただひたすらうまい。『胡椒 暴虐の世界史』という本を己の頭の悪さと図書館の返却日という不倶戴天の敵と苦闘を繰り広げながら読んでいる。なぜ中世の西洋諸国をして、激しく胡椒を求めたのか。よく「肉食の西洋では腐った肉の臭みを消すために胡椒が必要だった」と言われるが、そもそも当時は胡椒が土地の売買や納税に使われた財産であり、胡椒を手に入れることのできるような人は、暗黒の中世という時代であっても新鮮な肉を手にすることができる大尽なのであるという。鄭和の大船団が去った後の東南アジアにおけるパワーの空白の間隙を突いて覇権を手にしたポルトガル。続いて、オランダ、イギリスのアジア支配という20世紀までもつれる血なまぐさい歴史の大きな要因が胡椒なのだ。現代世界では「金融」によってグローバル化が進展しているが、当時の胡椒を追い求めての西洋の東洋への進出という事実は、「歴史は繰り返す」そのものである。脱帽どころか、髪の毛もむしり取って献上したくなるほど言語力の天才である同僚のスリランカ人から「スリランカ人はポルトガル語系の名前の人がぎょうさんおるんですわ」と関西弁で教えてくれた背景の歴史は、同じアジア人としては少し悲しい。サッカー好きの柳田さんが「クリスティアーノ・ヤナウド」などと自称するのとはわけが違うのである。「血で赤く染まっていない胡椒は一粒たりとも手に入らない」とヴォルテールは言う。ただ、現在の、あっさりとした醤油ラーメンの上にかけんとするテーブルコショー(ヱスビー食品製)はとても血で染まっているとは思えず、ただひたすらうまい。今日も胡椒をかけすぎて、くしゃみを二回。(HK)

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