Editor's Room

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2015年6月5日(金) 「締切」

いつも思う。なぜ締切は突如猛威を振るうのか。例えば1ヵ月先が締切日だったとする。それなのに私の前に締切という悪魔が「果たして終わるのかな?」とニヤニヤと挑発しながら現れるのは、大抵数日前なのである。何故、1ヵ月間という広大な時間という沃野を子どものお年玉の使い方みたいに膨大に無駄遣いしてしまったのか。なぜ、計画的にタスク管理し、余裕をもってプロジェクトを推進できないのか。締切遵守を実現するような人間とは、夏休みの宿題は7月中に終わらせる。よもや絵日記ですら7月中に8月分まで全て書き終えてしまうような子どもであったに違いない。9月1日に夏休みの宿題をし、締切当日の数時間前まで卒業論文の執筆に追われていた者にとって、それは大変困難であり、そして締切を過ぎたとしてもきっと許してくれるだろうというドロドロの甘さに起因するだろう。大抵締切が決まった際、私の中に出てくる計画とは「いつまでにこれをして、その次にあれをしなければならない」ではなく、「締切がまだまだずうっとずうっと先で、分量はたったのこれっぽちなので、手をつけるのはいついつからでいいか。今は別のことをしてよっと」というものである。今、追われている仕事も、まさにこの典型である。上の顔をチラチラと伺って自ら決めてしまった締切は今日。それなのに未だクロージングは見据える状況にない。果たして締切に間に合うのだろか(HK)

私たちは常に締切に追われている。締切や期限のない人はもしかして存在していないのではないだろうか。小学生だって毎日、翌日提出の宿題があり、夏休みなどにはそれなりの量の宿題もある。小さい頃から、私たちは締切に慣れ親しんでいるのだ。若い頃は、いろいろな納期や締切、細かな予定までも、頭の中ですべて記憶していた。手帳は持っていたが、メモ帳とアドレス帳の役割しか果たしていなかった。忙しくても、結構覚えていられるものだなと思っていた。が、あるとき、急速に脳と記憶力のモーレツな衰えを感じ、それからすべてを卓上カレンダーに書き込むようになった。そして今では、外で予定を聞かれても、戻って卓上カレンダーを見てからしか返事ができなくなった。なかなかの覚えられなさである。しかし、これが、これからどこまで悪化するのか、実はちょっと楽しみでもある。「老いとの付き合い方」を、締切と予定を通じて、学んでいるような気がする。(M)

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