Editor's Room

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2015年4月17日(金) 「整理整頓」

子どもの友だち(小学低学年)に、「○○のママ(私のこと)は、こんまりに似ている」と言われたことがある。「こんまり」とは、片づけコンサルタントの「近藤麻理恵」さんである。親しい友だちにも言われたので、あれほど小柄でかわいくもないが、なんらかかぶっているものがあるのだろう。彼女の片づけのポイントは「ときめくか、ときめかないか」。そこで、昨年、引っ越しを機に、洋服をその基準で仕分けて、処分してみた。だが今年になってみて、「あれがない!」「着るものがない!」という事態が続いている。全部ときめかなかったので、処分してしまったのだが、何かが違っていて失敗したようだ(そもそも本も読んでないあたりが原因だろうか)。今朝見たニュースでは、彼女の片づけ本が、海外でもベストセラーになっているとのこと。勝手に親近感を持っているものの、残念ながら実質は、いろんな意味で、似ても似つかない。(M)

私のデスクの中は汚い。背筋はしゃんと伸び、表情は常に微笑みをたたえ、自信と希望に満ちたまなざしは常に前を見据えている。程よい緊張感がありつつも、清々しく、そして朗らかである。育ちの良さ、品の良さの中に、ひとつまみの野性味も合わさり、精悍で知的である。そんな好青年の机の中が汚いとは、よもや誰も思わないだろう。私も思わない。引き出しを開ければ、そこは九龍城であり、名刺はちらばり、捨てることを躊躇してとりあえずしまった使わない紙資料も散乱している。その奥の方で昆虫が産卵していても気づくことはないだろう。ひとたび引き出しの中に終ってしまったものを発掘するのは徳川埋蔵金発掘に匹敵する。使いそうな資料は必然的に机の上に置くがゆえに、汚さは机の上に波及する。それは「風の谷のナウシカ」の腐海に相当する。年に数回、引き出しの中を発掘しなければならない時がある。マスター・キートンに憧れて考古学者になりきろうも、発掘作業の先にあるのは古代文明ではなく、単なる資料なのである。発掘する前に、整理整頓である。一念発起、机の中を徹底的に整理する。いくつものゴミ箱を満杯にし、時にシュレッダーも一心不乱に駆使する。そして整える。整頓後の引き出しはあまりに美しく、寸分の狂いもなく、ミリ単位で必要最低限のものが収納されている。あまりに完璧であり繊細すぎるからだろう。「とりあえずしまう」という邪心が芽生えたら最後、センチ単位程度の狂いで、引き出しの中はすぐに混とんとし、九龍城の再構築なのである。整理整頓という言葉の裏に、歴史は繰り返すという格言が潜んでいる。(HK)

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