Editor's Room

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2014年5月9日(金) 「眼鏡」

最近、視力が落ちた。年齢のせいもあるのだろうが、近くも遠くも見えづらくなっている。ついでに動体視力も落ちている気がする。昔から人に誇れるのは視力だけだったのに、いまや、それすら、揺らぎつつある。軽く2.0が見えていた頃が懐かしい。昔、眼鏡をかけている友だちに「眼鏡を取ると、どんな感じ?」と聞いたことがある。彼女は「プールに潜って目を開けている感じ」と教えてくれた。今はその言葉の意味がよく分かる。今、私のデスクの上には2つの眼鏡が置かれているが、どちらも使っていない。眼鏡をかけることに慣れていないので、つい、かけ忘れてしう。眼鏡が体の一部になる日が、いつか来るといいなあと思いながら、ひとつのほうをかけてみた。(M)

これまでの刻苦勉励のため、目は悪い。ファミコン購入と目の悪くなり始めの時期の偶然の一致は何とも不可解だが。視界はぼやける。見づらい。ただ、悪いことではない。ぼやけた世界は実に綺麗だ。女性なら誰でも綺麗に見える。女性は綺麗だという幻想に生きるためには、目の悪さは必須条件であろう。もし目が良ければ、現実という醜い無数の毒矢が目に突き刺さる。カエサルは「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」、つまり「俺は英雄だから現実のすべてが見えている」と言ったそうだ。よって私はコンタクトレンズを入れて、見たくない醜い現実を見ては、日々失望している。もちろん日々失望を重ねるには、眼鏡も有効である。ただ、私は「素顔で勝負したい、たとえドン・キホーテであろうと」といった蛮勇からでなく、似合わないからであり、眼鏡には様々なデザインがあるがゆえに、センスが求められるからである。コンタクトレンズは、目に入れるだけだから、デザインも何もない。目が悪いのみならず、見た目は悪いは、頭は悪いは、運動神経は悪いは、あげくにセンスも悪いのを世間に露呈してしまうのは何とも避けたい。今は寝起きの数分間に使用する朽ち果てた眼鏡しか持っていない。ただ、将来は眼鏡に変えたいと思っている。眼鏡を掛けていた方が、頭を良さげに見せかけられるからだ。(HK)

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