Editor's Room

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2014年5月2日(金) 「塾」

数年前、子ども同士が同い年のママと知り合った。当時、子どもは若干5歳である。が、そのママのお子さんは、すでに塾に通っていた。なんと、「中学受験」のためだと言う。「小学校受験は、今からじゃ間に合わないのよ」とそのママは教えてくれた。びっくりである。そのママに誘われて、進学塾が開催する親のための講座に参加してみた。怖いもの見たさである。子どもの生活習慣、勉強するための環境などについて「ご存じですでしょうけど」とばかりに上から目線で語る塾の先生。こっちにすれば「へー、そうなんだー」という感じだ。すると「こいつはダメだ」と思ったのだろう、先生はあからさまに私を見下す態度を取るようになった。「自分の教え子たちは人生の勝者となる」と言わんばかり(というか、そう言っていた)の態度に、また私も腹が立ってきた。この先、もし塾に子どもを通わせることになっても、そこだけは選ばないと意を決して帰ってきた。しかし3歳4歳から中学受験のことを考えないといけない時代なのか・・・。(M)

兄が中学受験した流れで、小学5年生のころから塾に通い始めた。当時地元を席巻していた中学受験向けの進学塾である。塾では抜群の安定感を誇り、常に中の下の成績を保っていたが、進学塾だったため学校の成績は上位だった。己が頭の良いと大いに勘違いし、学校で驕り高ぶるには十分であった。苦しい受験勉強を乗り越えるには強い精神力も求められる。それを身に付けさせんと、夏休みに長野の山奥で勉強合宿が行われていた。朝から晩まで続く、鉢巻を巻いた先生による熱意のある授業。こちらも気分も高揚し、鉢巻を巻いて徹底的に勉強するふりをする。寝ようものなら、『応用自在』という分厚い参考書の角で殴られる。なぜか塾歌まで覚えさせられ、最終日のキャンプファイヤーで歌う。塾とは勉強を教えるばかりではなく、受験戦争に勝たせるための場所なのだ、そう痛感したものだった。私は中学受験に負けたというか、中の下に相応しい学校しか受からなかったが。大学生になり、遊ぶ金ほしさに塾講師のアルバイトを3年間ほどした。生徒が二人以上徒党を組むと対処できなくなってしまう恐れのあるため集団塾でなく、個別指導塾である。世界史の先生として、世界史のマメ知識を、授業時間を無視してナイアガラの滝もかくやというほど怒涛のように吐き出し続けたかったが、個別指導塾における世界史の先生というのはほとんど需要がなく、どぶに捨てることとなる合コン費用を手にするためには、英語や国語、あげくのはてに数学にまで手を出さざるを得なかった。生徒にやらせる問題の模範回答集には、桃園の契りならぬ、講師室の契りを授業毎に結んだものであった。生徒には罪なことをしたと思うが、受験に失敗したり、成績が下がる子はいなかった。ひとえに私を指名する見識のない生徒自身による実力や努力の賜物だが、私の不安な授業こそが、生徒の主体性を引き出したと自負している。主体性を引き出された生徒による恩師への御礼はまだない。(HK)

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