Editor's Room

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2014年3月14日(金) 「恐怖症」

恐怖症では断じてない。犬は嫌いなだけである。犬と対面したとする。こちらは人間様なので、犬に負けるわけはないのだが、窮鼠猫をかむという例えもある。己という存在の小ささに悲嘆して、絶望的な攻撃をしかけてくる可能性も否定できない。従って、身構える。噛まれたとしても、歯を筋肉の弾力で押し返さんとするのか、体が硬くなるのがわかる。所詮は犬。視野は狭く、戦略も戦術もなく、ただただ私に向かってくるだけだ。直接対決なぞ、孫子の兵法のどこにも記されていない、多分。まず負けない態勢を構築し、その後に敵の隙を突く。犬と戦うための的確な距離を保つために、犬が近づくと横に逸れる。ただ、私は平和主義であり、無用な争いは好まないため、すれ違うのみである、傍目から見ると、犬を怖がって避けたとしか見えないだろうが、私は孫子の兵法を実践しているだけだ。夜道、住宅街の塀沿いをダラダラと歩いていたところ、突如私に対して番犬が吠える。吠えて、人畜無害の私を威嚇する。吠える。威嚇する。どこの田舎のヤンキーなのだと。室内で犬を飼う人がいるが、寝首を噛まれないか、不安にならないのだろうか。断じて怖いわけでない。嫌いなだけである。(HK)

先端恐怖症である。傘を振りながら歩いている人が前にいると、すごく危険を感じる。ただ傘を脇に挟んでいるとか、傘の先が下を向いているときには、それほど危険は感じないが、先端が振られて自分のほうに近づいてくる感じが怖い。本当の先端恐怖症は、視界に尖がったものが入るだけで、恐怖を感じるらしいので、私のケースは、症状としては軽症なのだろう。だが、前を歩いている人が、先端を後ろに向けて傘を振っていると、それを止めさせたいという衝動にかられる。もちろん、すぐ後ろを避けて歩くこともするが、そういったスペース的な余裕がない場合は、自分の傘をわざと当てて、相手に気づいてもらうという性格の悪い行動にでる。でも、傘を振るのは危ないので、みんなの役に立っているという勝手な自負もある。以前は雨の日が怖かったが、日傘が普及してから、夏もなかなか侮れない。先端恐怖症には厳しい時代になったものだ。(M)

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