Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2013年9月27日(金) 「ダンス」

私の通っていた中学校と高校では、柔道か剣道のいずれかが必修だった。今は、ダンスも選択に入っているらしい。今までは、投げ飛ばされるか、竹刀で思い切り叩かれるか、どちらの痛さを選ぶかだけだったが、今の子供は痛さに加え、言語に絶するほどのぎこちなさを思春期の同級生に披露しなくてはいけないという辱めが、選択肢に加わったということになる。柔剣道、ダンスは体育科目として扱われているが、運動能力の教練ではなく、何事にも動じない強い精神力を養うための道徳の実習なのではないかと思ってしまう。もし、私の時代にダンスも必修選択科目に入っていたとすれば、痛いのは嫌だと、ダンスを選び、そして生涯消えることのない深刻なトラウマを抱えることになったと戦慄してしまう。私は辱めからは救われた。ただ、可哀そうに今のままでは息子の時代もダンスが幅を利かせているだろう。2歳の息子も危機感があるようで、子供向けの歌に合わせて、毎日のように踊り狂っている。お遊戯ともいうが、その体の動かし方を冷静に見てみると、オタ芸にしか見えない。私は先日、TRFのイージー・ドゥ・ダンササイズをやってみた。TRFのダンスをエクササイズに取り入れ、ダンサーボディーになるためのDVDだ。同じく取り組み始めた同僚たちの効果を視認できないのだが、TRFへの愛の源泉が掛け流しになっている私が取り組めば、すぐにダンサーボディーを手に入れることができるに違いない。ダンスをしている最中、一抹の不安はありつつも、頭の中はすっかりTRFのダンサーSAMなのである。だが、私のダンスという言葉では表現できない切れ味の全くない奇妙な動作に、妻は爆笑し、息子もつられて爆笑した。息子には、私の血が濃厚に流れていることの自覚が足りない。(HK)

以前、通っていたスポーツクラブで、ヒップホップの特別レッスンが開催され、何を血迷ったか、それに参加してしまったことがある。ビヨンセの曲に合わせて、ビヨンセ風のダンスを踊るというクラスだった。講師が指導する通り動いているつもりだが、大きな鏡に映る姿は、自分で見ても吹き出しそうな動きだった。言われた通り動いているのに、全然違うダンスになってしまうのは何故だろう。救いだったのは、イケてる人はごく一部の人たちで、大勢の人が私と同じ感じに仕上がっていたことだ。きっと、特別レッスンということで、私のように血迷ってしまったのだろう。レッスンの後には、スタジオの中に奇妙な連帯感が漂っていた。しかし、大きな鏡のあるスタジオで良かった。鏡がなければ、自分の姿を見ることができず、さらに血迷って、ヒップホップを続けてしまうという悲劇を引き起こしていたかもしれない。(M)

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