Editor's Room

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2013年8月23日(金) 「夏休みの宿題」

夏休みの終わる8月29日あたりになると、現実を直視する能力、未来を予測する能力が突如開発される。それはまるで小田原の一夜城のように。大器晩成なのだろう。眠れる獅子がついに目覚めたのだ。新たな能力の開発された百獣の王は、猛々しく咆哮する。
「あーー!」
8月28日までの享楽しか視界に入らなかった無知蒙昧な日々は終わってしまったのである。終業式以来、鞄の中にしまわれた夏休みのドリルなどの宿題は、広大な原野。もし、この原野に西部のように金脈が埋まっていたら、一攫千金を狙うフロンティアスピリッツも磨かれようが、宿題という原野を開拓したところで、9月1日に怒られずにすむだけである。だが、宿題を終わらせなければ怒られるという恐怖心は小学生を突き動かすには十分である。むろん、9月1日に真っ白の宿題を堂々と提出し、その理由を滔々と雄弁を揮えることが出来れば、それはそれで立派な生き方だ。だが、まだまだ青二才の小学生なのである。恐怖心に駆られ、鞄を開いて驚愕する。3日間でこの分量をやれというのか。早速涙ぐむ。小学生なのに絶望という言葉を知るなんて、あまりに不憫である。だが、坂口安吾が『堕落論』で書いていた。「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」と。絶望から這い上がる力。これこそが先生が子供たちに取り組んでもらいたかった「本当の宿題」なのだったのか。書いている今気付いた。妻のように、先生からの「本当の宿題」に気付かず、目先の宿題だけを7月中に終わらせるような小学生生活を送っていようと、結局妻は私と結婚して絶望しているので、小学生の時に絶望するか、大人になって絶望するかだけの差である。閑話休題、とにもかくにも9月1日には涙も枯れ果て、破れかぶれの宿題を提出するのだが、そのあまりの惨憺たる宿題の出来上がりに、結局は先生に叱られることになる。(HK)

小学生の時、絵日記という宿題があった。昨日、甥っ子にリサーチしたところ、どうやら今の小学生は、毎日ではなく、数日分(3日分)だけでいいらしい。「楽すぎる!」と、甥っ子を羨ましく思うという大人げなさを発揮してしまう私のこの性格はどうになからないのだろうか。それはさておき、私の記憶が正しければ、私は毎日、絵日記を書いていた。もとい、夏休みの日数分の絵日記を書いていた。7月中に8月分の絵日記まで仕上げていた私は、HKの奥方と同じタイプなのかもしれない。天候の欄だけは空欄で、毎日、それだけを埋めればいいという、小学生とは思えないなかなかの周到さである(ただし、太陽の絵が描かれていても雨の日もあるという矛盾も生じていた)。子どもを持つようになって、私のような子どもはかわいくないし、「なんか違う」と思う。かと言って、HKのように8月29日に猛々しく叫ばれても親としても困る(笑)。できればコツコツと毎日やってほしいのだが、自分ができなかったことは強要できないだろう。(M)

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