Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2010年10月8日(金) 「思い出の先生」

誇りある男として、思い出の先生などとセンチメンタリズムに浸る気など毛頭ない。また教師の都合のいい妄想に付き合うつもりも全くない。卒業式で卒業生に「♪ありがとう、さようなら、先生~」などと歌わせて、自分に陶酔するな。ただ私の塾講師時代の生徒は私を恩師として思い出に残す義務がある。生徒の自律を促す授業は定評があったと自負している。さて私が思い出に残っている先生といえば、例えば高校のときのアメリカ研修で酒に酔って理不尽な理由で体罰をして、帰国後即謹慎3ヶ月の処分となった教師だし、剣道の授業で手ぬぐいを忘れた生徒に1枚100円で売って私服を肥やし懲戒免職された教師だし、生徒に「俺を殴れるなら、殴ってみろ」と言ったところ、本当に殴られた教師たちだ。とはいえ、ドイツからの帰国後、日本語の補習授業をしてくれた先生は恩師だ。また「エーゲ海にはこんな水着やあんな水着の女の人がたくさんいてね。グフフ」と言って、五里霧中だった私の卒論のテーマの方向性を決定してくれた教授もまた、私の性質を把握して進むべき道を指し示してくれた恩師といえる。(HK)

高校1年のときの担任は新任の先生だった。タレントのラッシャー板前に似ていたことから、あだ名は「ラッシャー」に決定(ありがちなパターン)。今では本名すら思い出せない。ラッシャーはもちろん小太りで、いつもシャツがズボンから出ていた。口からつばを飛ばしながら、しゃべるのが特徴だった。ラッシャーが担当の物理の時間、私は右隣の席の友だちと話をしていた。すると、ラッシャーが突然振り返って、私の左隣のクラスメートに「おい、Y、話をするな!」と怒った。明らかにしゃべっているのは、私と別の友だちだった。濡れ衣を着せられたYちゃんは「私じゃありません!」と抗議した。ラッシャーは自信満々に「いや、君の声がした」と言い放った。私は申し訳ないと思いながらも、笑いを抑え切れなかった。それがきっかけで、Yちゃんとは高校3年間を通じて、とても仲良くなることができた。今、ラッシャーは何をしているのだろうか。本名が思い出せないので、調べるすべもない。本名くらい覚えておくんだった。(M)

「ワシ」と呼ばれた先生がいた。「鷲」ではなく「私」という意味の「ワシ」だ。当時その先生は30代半ばだったと思うが、自分のことをなぜか「ワシ」と呼んでいた。若い頃にインドを放浪した経験があるらしく「インドはいいぞ~」と事あるごとに勧める不思議な先生だった。いつもニコニコして、ちっとも偉い感じはしなかったが、尊敬できる先生というと「ワシ」しか思い浮かばない。「ワシ」は、決して自分のことを「先生」と呼ばなかった。決して生徒に命令しなかった。例えば掃除をサボっている生徒を見つけても「ちゃんと掃除をしろ!」ではなく「ちゃんと掃除しような~」と注意していた。手を上げるどころか、声を荒げることもない。怖くはないのに、誰も「ワシ」を馬鹿にしたりしなかった。「ワシ」を裏切れないと思っていた。そういう先生を、私は他に知らない。(YK)

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