Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2010年8月6日(金) 「もったいない」

大学時代。新年度に読むシラバスには夢が詰まっていた。昨年までの怠惰な学生生活から抜け出し、知的興味が刺激された講義を履修し、大いに勉学に励み、未来への礎を築き上げようと希望に燃えていた。ちょうど桜は満開であり、季節のつじつまが合わないが新緑は萌え、薫風は香っていた。講義が始まって1週目で気づく。どう考えても容量オーバーなのだ。語学は必修の英語とフランス語のほかに、トルコ語、アラビア語、現代ギリシア語、ラテン語、朝鮮語を履修登録してしていた。満開の桜は春の嵐で散り、季節のつじつまが合わないが冬将軍が今まさに私に襲い掛かろうとしていた。結局卒業に関係ない単位だからと、全く講義に出席しなくなった。モンゴル騎兵の後には草木も生えないが、私の履修登録の後に単位は残らないのである。しかし、もしあの時全ての単位を取得していたらと思うと、大変もったいないことをしてしまった。むろん卒業のために息絶え絶え単位を取得した英語やフランス語ですら、全く身についていない今、アラビア語などの単位を取得したところで全く身につかないだろうから、今とさほど変わらないかもしれないが、アラビア文字で「こんにちは」と書けようものなら、それだけで周りの尊敬を集められただろうに。せめて5月までは講義に出席すべきだった。(HK)

つねづね心の中に「もったいない」精神を持って生きている。片付いていないとイヤなので、心を鬼にして、物を捨てるが、本音は「ああ、もったいない」である。捨てた後にはすっきりするのだが、捨てるのには罪悪感がつきまとう。裏紙にハマった時期もあった。投げ込みのちらしの裏までもったいない精神で使おうとしたが、そもそも、そんなに書くこともなく、たまる一方だったので、結局まとめて捨てた。一連の行動がムダだらけなので、その行動に割いている時間がまさに「もったいない」である。最近は捨てないで、バザーなどに出すようにしている。お金にはならないが、罪悪感から解放される。バザーを見に行ったことがあるが、自分が出したものが引き取られていくのは、なんだか嬉しい。「大事にしてもらってね」という気持ちで送りだすことができた。今はどうしているだろう、あの本当に悪趣味だったオモチャ。(M)

小生が子供の頃、父親によく「米粒を残すと目がつぶれる」と聞かされて育ったのもあり、いまでは出されたものを残すのはもったいなくて仕方がないと思う様になった。その父親はというと弟の結婚式の時に胃腸かぜをひいて、出てくる料理を全て自分にまわしたあげく、「お前は出されたものを全部食べてえらいな」と言っていた。おかげさまで、弟の結婚式の思い出は料理を一生懸命食べたことしか覚えてない。(D)

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