Editor's Room

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2010年2月26日(金) 「わたしの持論」

食べるもののカロリーはできるだけチェックする私だが、実はそんなにカロリーを信じていない。個人的には、カロリーの低いものでも量を食べている限りは痩せないと思っている。これは私にだけあてはまるのかもしれないが、高カロリーだろうが量を減らせば体重は減る。どんなに低カロリーでも満腹感があると体重は減らない。運動をしてもダメ。量を食べたら絶対に体重は減らない。だから空腹感を紛らわせる作用のあるダイエット食品は、信じていない。空腹感を楽しみ、克服してこそ、体重が減るのだ(あくまでわたしの持論です)。そういえば、ここ何年も空腹感を感じたことがない。危機的状況にあることに今気づいた・・・。(M)

「上手くなりたい」「勝ちたい」と思うから引退しなくてはならないのだ。力が衰えたときの現実を許容できず、勝利という蜜の味を覚えたが最後、敗北を極度に恐れるようになる。我が草サッカーチームはこのような俗な観念に克己し、誰一人賞賛することのない精神的頂点に到達している。下手な自分をありのままに受け入れ、上手くなってはいけない。元来極度に下手で弱いチームなので、勝利という蜜の味を覚えることもなく、また全く頂点を目指してないので転落することもない、何も登っていないので。ただただ地の底で臥遊するのみである。そのため我々には基本的に引退の二文字はない。元々実力がないので力の衰えようがなく、引退のタイミングは闇の中だからだ。引退を強いられるときは死ぬ時か、妻の逆鱗に触れた時だけだ。我が草サッカーチームは勝利を求めない。相手を蹴落として勝利することの、なんと強欲なことよ。相手が勝利を欲したら素直に差し出すことこそ美徳だ。ゴールチャンスのときに、相手がどうすれば喜ぶか。私は道徳的見地から空振りをするなどミスをするのだ、あえて。もちろん敗北はつらいものであり、ミスは羞恥である。だが、いくらミスし敗北しようが笑い飛ばせる豪胆な精神力を身につけなければならない。ときに利己的な観念に負けて勝利の味を渇望してしまうこともあるが、精神的教練のために練習という精神的逃避をしてはならない。練習とは上手くなりたい、勝ちたいという欲望の具現であり、練習することは私利私欲の走狗に成り下がるということだ。私ですら知らないほど誰も知らないことだが、私のサッカーの実力はマラドーナレベルだ。それなのに一度もマラドーナレベルの実力を発揮するどころか、学校の体育のサッカーレベルの実力すら発揮したことがないのは、ひとえに私が強靭な精神力と道徳的観念、奥ゆかしさ、慎ましさを生まれ持っていることの証明だ。マラドーナレベルの実力があるものの、強靭な精神力と道徳的観念によって脳波は邪魔をされ、筋肉を自在に動かせないのだ。相手チームも私のような強靭な精神力と道徳性を身につければ嬉しいのだが、私が。蛇足だが、マラドーナレベルと書いたのは断固たる事実だ。実力面では上記のように脳波が邪魔をして発揮できないが、どう考えても胎内にいた頃のマラドーナに比べて、私の方がサッカーが上手い自信はある。(HK)

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