Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2009年9月18日(金) 「見栄をはってしまう瞬間」

見栄をはってしまう瞬間…ズバリ「お金がない、高い」と言えないときです。たとえば洋服を買いに行って、値札を見て「高いので無理です」とは言えず、「ちょっと思っているものとは雰囲気が違うので」などと見栄をはってしまうのは、私だけではないはず(ですよね、ね??)。セール品だと思って、レジに持って行って、正規の値段だったときも、「それなら要りません」と言えず、泣く泣く買ったことも何回もあります。あれは本当に泣けます。内心はものすごく焦っているのに、涼しい顔をするのも簡単ではありません。お金の面だけでなく、見栄をはらずにいられたら、楽に生きていけそうな気がします。まだそれができない私は、未熟者なんでしょうね。これを機会に、見栄をはらない自分を目指してみたいと思います。できるかな・・・。(M)

人生のピークだった浪人生の時。自分の偏差値では夢か幻の難関大学の赤本を、これ見よがしに電車の中で眺めていた。問題を解くことが目的ではない。見ず知らずの人に頭がいいと思われることが目的だ。むろんそのような大学には受かるわけがなく、別の大学に合格したのだが、今度は私を勉学に勤しむ大学生に見せるために、専門書をカバーをかけずに電車の中で読んだ。自腹で購入するのが惜しくて、図書館でばかり借りていたこともあるが、書店で買った専門書もカバーをあまりかけなかった。自腹で買う専門書が、専門書ともいえない初心者向けの新書でも問題ないのだ。新書であろうと専門分野に興味があると見せることが重要なのだ。目的がレポートで引用するため(パクるため)であっても、カバーをかけずに読むことで見栄をはるという一石二鳥の効果も狙ったのだ。私の専門はイスラム史だったので、その関係の本が多かったのだが、大学在籍中に9.11が発生した。これを境に見栄の効果が期待できなくなったので、カバーをかけるようになった。草サッカーチームでの私の背番号は10番である。いわゆるエースナンバーで、チームの代表という立場を利用して手に入れている見栄の背番号である。見栄をはった効果は絶大で、最初のうちはマークが厳しい。だが試合開始からしばらく経ったら徐々にマークが薄くなるのは、私がマークを外す動きをしているわけではなく、私の実力を相手に見透かされるからだ。10番をつける意味がないのではないかと批判されるかもしれないが、私が10番をつけることにより、チームメートへ付くべきマークを試合開始数分だけ引き付けるという効果がある。また、やはり見栄をはりたいという気持ちが充足するからだ。(HK)

見栄を張ってしまう瞬間、、、。それはまあしょっちゅう、という気がするものの、具体的な例を思い出そうとすると、なかなか出てきません。いまテレビで流れているヘルシアのCMに、プールサイドで服を脱ぐときにお腹をひっこめる男性の姿がありますが、ああいったことには「ある、ある」と共感を覚えます。今日、自分のランチ用にサンドイッチを買ってきましたが、あまりお腹がすいていませんでした。そこで、前に座っているスタッフに「お腹がすいていないから、これ、あげる」と言って、そのサンドイッチをあげました。ところが、彼女が食べているのを見ていたら、だんだんお腹がすいてくる。しかし、「お腹がすいていない」と言ってしまった手前、「わたしもひとつちょうだい」とは言えないわたし。しかたなく、別のお菓子に手をのばしたのでした。これが、一番最近張った「見栄」ですね。わたしは、こういう小さな見栄を毎日チョコチョコ張っています、たぶん。思い出せないけど、そうだと思います。(C)

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