Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2009年1月16日(金) 「昭和」

わたしは昭和生まれです。読者の方の大半も昭和生まれだと思いますが、あと何十年かしたら、「MTさんは昭和生まれと聞いたんですが本当ですか? すごいですね、お元気ですね、かっこいいですね!」と言われるようになるかもしれないと思っている。江戸時代生まれの人はもうこの世にはいらっしゃらないはずですが、わたしが小さいときは「●●さん家のおじいさんは江戸時代の生まれだったらしい」といった感嘆まじりのセリフを聞いたことがある。わたしは幼心に「かっこいい」と思ったものだった。少し前の江戸時代生まれの人のように、昭和生まれは羨望のまなざしで見つめられるようになる日が来るのではないだろうか。楽しみです。(MT)

昭和は日本史上最も激動の元号であった。その昭和に私は生まれたのだ。私の昭和の記憶の始まりもまた激動だった。昭和60年の阪神タイガースをバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発だ。もちろん昭和60年以前の記憶もある。成田空港で日比谷線のブリキのおもちゃを荷物検査で捨てられたと勘違いして大泣きしたり(かわいい)、深さ10センチの海でおぼれて大泣きしたり(かわいいだろう)、店にコーラがないと大泣きし(かわいいはずだ)、幼稚園でおしっこをもらして大泣きしたりと(かわいいと思ってほしい)。ただはっきり昭和と意識しての記憶となると、打たれた槙原の呆然とした表情だ。あの興奮たるや、これがきっかけで阪神ファンになったわけではなく、広島ファン(私の名前と同じ「ヒロ」が入っているからだ)だが、それほどインパクトのあるものだった。現在私にとって昭和を感じるものといえば、東海道新幹線の0系と、コーラ瓶の自動販売機だ。東海道新幹線の0系はつい先日廃車になってしまい、もう乗ることはできないが、コーラ瓶の自動販売機は復権している。コンビニで売っているコーラ瓶のようなキャップ式ではなく、王冠になっているのが嬉しい。それを自動販売機についている栓抜きで開けるのが快感だ。いまや昭和が終わって早20年と8日。昭和をまったく知らない世代が徐々に跋扈してくるが、昭和生まれとして平成生まれに負けるわけにはいかない。「私が生まれた昭和は戦争の焼け野原から復興して高度成長を成し遂げ今の日本を築き上げたのだ」だと。戦争も高度成長も経験せず、知っている昭和はなめ猫とおにゃんこクラブとたのきんトリオだとしても、激動の時代「昭和」生まれのプライドを大切にしたい。(HK)

もちろん私も昭和生まれだ。つい最近まで昭和だった気がするが、はや平成になって20年もたつとは驚きである。平成初期の歌が、ナツメロ扱いされるのも納得だ。昭和時代に青春(笑)を過ごした私にとって、今でも昭和という時代は輝いている。当時は携帯電話なんて普及してなかったから、友達と話すときは家の電話だった。長電話をしてよく怒られていた。音楽もiPodなんてオシャレなものがなかったから、ウォークマンを使って聴いていた。パソコンやインターネットもなかったので、情報はもっぱら本やテレビなどから入手していたし、深夜のラジオも楽しみだった。なんだか懐かしい気持ちでいっぱいになってきた・・・(涙)。ところで、エディターHKが書いている阪神で活躍したバース選手だが、以前、空港の荷物検査で私の前に立っていたことがあった。検査官が彼を指差し、「バース、バース」と教えてくれたので、私はそのとき持っていた紙とペンでサインをもらった。そのとき使った紙は「チャオ おしゃれな香港 2泊3日」と書かれた旅行行程表だった。ずいぶん失礼なことをしたと今でも思っている。バースさん、ごめんなさい。(M)

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