Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2008年10月24日(金) 「ついつい買ってしまうもの」

私がついつい買ってしまうものは部屋着である。着心地の良さを追い求めて、つい買ってしまうが、なかなか「コレ」というものに出会わない。部屋着は試着して買えないから困ったものだ。家で着てみて、返品するという勇気もない(それにどれも安いものだし)。だが妥協はできない。家では最も楽な格好でいたい。でも多少はデザインや見た目にもこだわりたい。パンツの丈も譲れない。というわけで、着ない部屋着がどんどん増えていく。同じ製品でも、製法などによって微妙に着心地が違ったりもするので油断はできない。買っても実際着るものより、着ないものの方が多い。置いておいても一生着ないので、捨てればいいのだが、それもなんだかもったいないし。少なくとも年内はもう買うのをやめることを、この場で宣言しておこう。(M)

目的を持って買うものと、ついつい買ってしまうものとは性質が異なるように思える。例えばコーラを「ついつい買ってしまうもの」と表現するのは、人類の生命を支えているコーラへの礼に反する物言いで、ありえないと考えてしまう。しかし買うという行為の根底には必ず欲望があるはずだ。「ついつい買ってしまう」「衝動的に買ってしまう」といっても、購入したときは明らかに「ほしい」と思ったはずである。「目的を持って買う」と、「ついつい買ってしまう」とは意識の強弱の差こそあれ、欲望の枠に収まる。ようはこの二つの違いなど、所詮は五十歩百歩なのだ。ただ我々はこの差にこだわる。「生きるためにコーラを買う」という表現は当たり前だと思えど、「ついついコーラを買う」という表現には憤りを覚える、コーラはそんなに軽々しいものではないと。そういえば、フロイトは人間はリビドー(性衝動)に支配されているという説をとなえていたような気がする。そうなると英語の辞書を買うときもリビドーに基づくことになる。中学時代の同級生Sの購入した辞書が『あぶない英語辞典―最新アメリカ性表現』というのも納得だ。普通の中学生男子なら普通の辞書で、そのような表現を見つけて喜ぶ程度だが、Sは違った。ただそんなSでも「たまたま本屋で目に入ってのでついつい買った」と主張するのである。我々は五十歩百歩にこだわる。(HK)

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