itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。
2008年10月10日(金) 「楽器」
子供のころ、ピアノを習っていた。どういうきっかけで習い始めたのかは覚えていないが、まったく練習をしないダメ生徒だった。何年も習ったが、あまり上達しないということは、才能がなかったのだろう。バイオリンなら開花したのかもしれない(たぶん、それもないだろう)。こんな私だが、小学校のときは、鼓笛隊に属していた。といっても、小さい小学校だったので全員参加というだけだが。鼓笛隊では、いろいろな楽器を担当した。トランペット、小太鼓、大太鼓、アコーディオン、笛、ピアニカなど子供ができそうな楽器は全部やった。中でもベルリラは楽しかった。ベルリラは女子生徒の憧れの楽器で、6年生にならないと担当できなかった。だからベルリラ担当になったときは一人前になったような気がして、嬉しかったものだ。と、ここまで書いてみて、演奏した曲を1曲も覚えていないことに気づいた(唖然)。どうやら小さい頃から形から入るタイプだったらしい。それに気づいて、少し自分にがっかりした。でも、時間ができたら、またピアノを習ってみたいと思う。←懲りないろころも、小さい頃から変わってないようだ。(M)
高校生のとき「これは自分には一生無理だな」と思ったことが二つある。どちらも留学先のオーストラリアで感じたことで、一つはフランス語の発音、もう一つはギターだ。フランス語については、クラスメートの家にホームステイしていたフランス人留学生にフランス語の発音を教えてもらおうとしたのだが、まったく真似できなかったのだった。耳と物まねに少し自信があったので、自分のフランス語の「似ていなさ具合」に愕然とし、「これは一生無理かもしれない」とショックを受けたのだった。ギターの方は、誰かの家に集まってキャンプをしたとき、ギターを弾くクラスメートがいて、夜に彼女のギターに合わせてみんなで歌ったのだが、そのとき直感的に「これは一生弾けないだろうな」と思ったのだった。ちょっとだけ弾き方を教えてもらおうと思い、その夜はじめてギターというものに触ったのだが、取り付く島が無いというか、楽器とまったく親しくなれる気がしなかった。とにかくぜったい無理、という気がした。しかし時は流れ、その後大学でフランス語を学び、発音だけは先生に誉められるようになった。そして留学から約10年後、突然思い立ってギターを練習し始め、今では簡単なコードはだいたい押さえられるようになり、なんと弾き語りまでするようになった。高校生のとき感じた絶望感のようなものを思い出すと、自分のことながら少し希望がわいてくるのであった。(MT)
サンバが好きだというと、ダンサーを見るのが好きだと誤解されてしまう。むろん男なら誰もがそうであるように、まんざらでもないというほかないが、リズムのほうが好きである。とくに打楽器である。とはいえサンバパレードの楽器隊を見ると、大掛かりで数多くの楽器の複合的なリズムなので、個人が軽い気持ちで叩けるものではない。大学のときにサンバをやるのだと思って入ったラテンアメリカ研究会がアンデスの物悲しい音楽(「コンドルは飛んでいく」など)だったこともあり、サンバは手を出したくても出せない憧れの存在であった。別の大学で実際にサンバをやっている友達に連れて行ってもらったラモス瑠偉のサンバイベントで「パゴーチ」とサンバの形態に出会った。パゴーチとは飲み屋などで何人か集まって手持ちの楽器で始めるサンバだ。その中でもラモスが叩いていたタンタンという太鼓に、私の目はラモスの裸足に革靴というスタイル以上に釘付けとなった。一つでサンバのリズムが刻めるタンタン。これが叩ければ。。。「練習しないから無駄だ」「絶望的にリズム感がない俺には無理だ」という心に克己すれば、購入はできる。購入しても叩き方はどこで教わるのか。一人で叩いて空しくないのか。技術面、精神面でも打ち勝つことがたくさんあるが、挑戦してみたいと思う。ここまで洋楽器のことばかり語ったが、日本に住んでいる以上、日本古来の楽器にも挑戦したい。一度でいいからほら貝が吹きたいのだ。(HK)
子どもの頃、歌が好きだった私は、コーラス隊に入りたいと母に言った。そうしたら、母は、声楽の先生を見つけてきた。そしてなぜかその先生は、「歌を歌いたいなら、まずピアノからやりましょう」。というわけで、なぜかピアノを6年間も習うはめになった。練習は大嫌いで、ほとんどしなかったが、6年間はちゃんと通い続けたし、発表会というものでも演奏した。ただ、その間、ピアノを弾くのが楽しいと思ったことも、好きだと思ったことも、一度もない。一緒に習っていた弟は、わたしと違ってピアノを弾くのが好きだったらしく、いまでもときどき弾いている。妹は、わたしと同様、練習が好きだったと思えないし、あまり楽しそうにピアノを弾いていた記憶もないが、なぜかいまは歌を生業にしている。そんなこんなでピアノに挫折したわたしは、それでも長いこと、コーラス隊に入りたかった。イギリスに留学したとき、大学にはいくつもコーラス隊があった。友達が入っているコーラス隊を紹介してもらって、入隊テスト(?)を受けに行った。先生がピアノをポロロン♪と弾いて、それについて歌うのだ。何が起こったのかわからないが、先生は手を止め「はー」とため息をついて、「やめたほうがいいね」と言ったのである! なぜ??? というわけで、夢のコーラス隊にはついに入ることができなかった。音楽に国境はないというが、わたしにはあったようだ。というか、単に音痴なだけ? そんなわたしは、とりあえずひとりで歌を歌っている。そう、お風呂の中とか、ドライブ中に。特にドライブ中、昔の小学校唱歌を大声で歌うのが好きである。そんなわたしの同乗を希望される方はメールをください。(C)