itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。
2008年10月3日(金) 「運動会」
「両雄並び立たず」という言葉がある。双子である私は、当然運動会では双子の兄と雌雄を決する戦いが待ち控えている。とはいえ兄弟の争いは悲劇だ。オスマン帝国ではスルタンによる兄弟殺しが慣行となっていた。後継者争いによる帝国分裂を避けるためである。歴史は繰り返すというが、このような悲劇を我が家で繰り返してはいけない。小学6年生の運動会、競技は障害物競走だった。そもそも障害物競走というのは人の目的を意図的に妨害しようという陰険な精神の露呈であり、このような競技で兄弟が争い、分裂するのは悲劇だ。当初はまったく意識していなかったが、大人になって気づいた。我々は兄弟融和を象徴するために、あえて最下位になったのだと。。むろん周囲は子供である。1位になって誇らしげにしているものもいる。一見したら、網に絡まったり、途中で着けるエプロンの紐が慌てたせいで絡まって結わけなかったりと愚鈍そのものであっただろう。この最下位によって赤組敗北の要因のひとつとなっただろう。母親に恥ずかしい思いもさせただろう。とはいえ幕天席地である。兄弟融和の大事に比較して、兄弟揃って最下位など小事である。オスマン家では兄弟で誰かが1番になろうとするから悲劇が生まれたのである。その点、我が家では誰もが最下位になることによって喜劇が生まれたのである。とはいえ、もし私が結果として1位になったとしても、それを受け入れる大きな度量は私にはあるが、私が負けた場合は、当然兄は糾弾されてしかるべきである。(HK)
その昔、テレビで、子どもが踊ったり歌ったりしているのを見ながら、母が涙を流していたことがある。画面に映っているのは、全然知らない子どもたち。「なんで泣いているの?」と聞いたら、母は「年をとったら、子どもが何かを一生懸命しているのを見ると涙が出るようになった」と言った。自分も年齢を重ねて、その母の言葉がよくわかるようになった。テレビであれ、現実であれ、子どもたちが何かを一生懸命している姿を見ると、なぜか泣けてくる。あの涙は、もちろん哀れみの涙ではないし、うれし涙とも違うし、いったい何の涙なんでしょうねえ。女性は同じ体験をする人が多いようですが、男性も年をとると同じように子どもを見て、泣いたりするのでしょうか。なぜか子どもを見て泣く話になってしまったが、テーマがずれているわけではない。今年、小学校5年生になった姪が年長さんのとき、保育園に運動会を観に行った。そのとき、一生懸命演技する姪を含め、まわりの子どもたちの姿を見ながら、涙が出てしかたなかった。「お母さんと一緒だ」と実感した。運動会というと、そのときのことを思い出す。(C)
私が通っていた高校は、体育の先生がとにかく厳しかった。他の先生たちも怯えていたくらい怖かった。そんな厳しい先生たちに指導されながら、高校2年の体育祭では、組み体操をやらされた。「やらされた」というのが、まさに正確な表現である。裸足で地面に膝をついて、上に人を乗せたり、肩の上に乗ったり、倒立したり・・・年頃の女子高生がやることではないと今でも思っている。練習も容赦なく厳しかった。毎日毎日、本当にイヤで仕方なかった。ここで「本番では感動して、思わず泣いてしまった」と言えば、美談になるのだろうが、この組み体操は今でも本当に忌まわしい思い出として私の中に残っている。チャンスがあれば、訴えたいほどだが、もちろんそんなチャンスもない。なんとも口惜しい。そういえば高校での体育際では、クラス対抗で巨大オブジェを作るというプロジェクトがあった。土台を作り、紙を貼り、色を塗る。作業は夜まで続いた。一度家に帰って、差し入れを持ってまた学校に行ったりもした。“男子”が頼もしく見えたのも覚えている。ああ、懐かしい。あれは青春だった。というわけで、高校時代の運動会は、「ザ・青春」という思い出と「訴訟にまで発展させたいほどの」イヤな思い出が交錯しているのであった。(M)