Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2008年9月19日(金) 「お弁当」

そういえばずいぶん長い間、お弁当を食べていない(売ってるお弁当は別にして)。高校の時は毎朝、自分でお弁当を作っていたが、自分で作ったお弁当ほどつまらないものはない。開けたときのサプライズがない。自分で作ると、開けたときに「ああ、そうだった・・・」という気持ちにしかならないのだ。その点、誰かが作ってくれたお弁当は楽しい。うちの母は調理師の免許を持っているだけあって、料理を得意としている。お弁当もいつも華やかで凝りに凝っていた。チューリップが咲いていたり、旗がついていたりと、毎日、お子様ランチさながらだった。小さい頃は、お弁当の時間が楽しみでしかたなかった。しかし今度、自分がお弁当を作る立場になると、あそこまでやれる自信がない。かわいいお弁当を開くときの楽しみを知っているから私だからこそ、なんとか期待に応えたいところだが、現実は厳しい。調理師の免許もない。簿記やTOEICじゃお弁当は作れないだろうし、ついでに(関係ないかもしれないが)画才もない。というわけで、小さい頃、大好きだったかわいいお弁当が今、私に大きなプレッシャーを与えようとしている。(M)

お弁当なんて学生時代は一度も作ったことがなかったが、数年前からたまに自分で作ってお昼に食べることがある。週末など時間のあるときにおかずを多めに作り、それをお弁当箱に詰めて出かけるだけだ。前の晩に詰めてしまうこともある。冷えてもあったかいお弁当、というのは誰かの言葉だが、自分で作って中身も味もわかっているのに、お弁当箱を開けるときはいつでもわくわくし、食べるとあったかく満ち足りた気持ちになる。なので、お花見やハイキングに出かけるときも、なるべくおむすびは自分で作るようにしている。ところで知り合いに、子どもの頃、お弁当箱の中身はいつも食パンだったという人がいる。おかずはもちろん、バターやジャムなどの添え物もなく、食パンのみ。たまにブドウパンが入っているときがあり、そういう日は「今日はご馳走!」と喜んだのだとか。その知り合いは、特にグレることもなく立派な大人になっているので、彼のお母さんもなかなかたいしたものだと思う(偉そうですみません)。(MT)

社会人になって痛感したことがある。かくも昼食代が高いのかと。小学校のときは給食があった。中学・高校のときは母親の弁当か学食、校内売店のパンだ。そして大学のころは昼ご飯を食べる時間に学校にいなかった。昼食代について熟考するようになったのは社会人になってからである。毎日外食となると、なかなかの出費だ。抑制を考えるのは当然だろう。隣は大学だから学食に忍び込むという手段はあるが、女子大のため、昼食を食べたいだけの善良の一市民が、誤解による偏見から構内からつまみ出されるか、最悪警察に捕まってしまう。節約という面で、家で作った弁当に勝るものは、食べないという選択しかない。前職のときに毎日母親の手弁当を持って来て食べていた男がいた。母親の愛情が深いのか、マザコンなのかは議論の余地は大いにあるものの、彼の昼食代が浮いていたのは事実だ、その節約の効果としてブランド物のプレゼントを女の子にばら撒いては振られ続けていたのだが。私も弁当にすれば、吉野家にいったときに大盛りではなく、特盛りを注文できるのではないか。しかし毎朝弁当を作るのは非現実的だ。戦士である男の朝の時間の価値、それはダイヤモンドだ。前日の疲労回復、そして今日のエネルギーチャージのために翼を休まねばならない。具体的には二日酔いと迎え酒のために眠れるときに眠らなくてはいけないのだ。その貴重な時間をたかだか数百円のために削れるか、食べ物を見るだけで吐き気がする。それに「男子厨房に入らず」という格言がある。私も一廉の男子として厨房に入るのは強制されたときにとどめておきたいのだ。(HK)

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