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2008年9月5日(金) 「自分の名前について」

私の名前の一番最後は「行」という字だ。私だけではない、三兄弟みなそうであり、従兄弟もみな「行」がついている。わが一族には男だけだが、代ごとに漢字を一字揃えるという掟がある。その一字は遠い遠い本家でいつのまに決められ、一族の中での分家の中の分家である我が家に漢字の決定権などない。父親の代だけ制度が廃止されたが、私の代で復活を遂げてしまった。ただ私の代は一般的に使われる「行」で、私の名前も平凡である。問題は私の次の代である。つまり私の息子の名前だ。名前の頭に「成」という字を使わなければならないのだ。これはなかなか難しい。結婚へのハードルの一つにもなりうる問題である。明の再興を図った台湾の英雄である鄭成功に因んだらイジめられるのではないか、戦国武将佐々成政にちなんだところで豊臣秀吉に切腹させられた武将なので縁起が悪い。島津斉彬にちなんで「成彬」とすると漢字としてはかっこいいが、いちいち「なりあきらー」と呼びかけるのは口下手な私にとっては甚だ難儀だ。もう自暴自棄になって海外に羽ばたく男になってもらいたいと「成田」と名付けるのはどうだろうか。だめだ、出てこない。もし何か良い名前があれば教えてもらいたい。(HK)

わたしの名前は、ひらがなで書く。「子」がつく名前をもらったが、この「子」だけは漢字で、あとはひらがな。両親がもともとわたしにつけようと思った名前は漢字だったのだが、当時その漢字は人名漢字に使うことができなかったそうだ。苗字のほうは、「田中」とか「山田」というように、画数が非常に少ない。ひらがなの画数をどのように数えるかよくわからないが、わたしの名前はフルネームで書くと16画しかない。小さい頃は、見た目があまりにシンプルな名前が気に入らず、難しい漢字を使う名前や、画数の多い苗字に憧れた。もともと親がつけようと思った漢字が難しい漢字だったので、習字のときなど、わざとその漢字を使って名前を書いたりしていた時期もある。その部分だけ字が大きくなってしまって、バランスが悪くなるというのが常だったけれど。でもいつの日からか、自分の名前(フルネーム)が好きになった。シンプルでわかりやすいし、明るい感じがするなーと勝手に思っている。自分の名前があまりにも気に入っているので、同じ苗字の人と結婚するか、夫婦別姓を待つしかないかもしれない。(C)

世の中、名字で呼ばれることが多い人と、名前で呼ばれることが多い人に分かれると思うが、私は名字で呼ばれるほうである。名前で呼ぶ友人もいるが、名字か、名字から派生したあだ名で呼ばれることが圧倒的に多い。そしてそれが結構気に入っている。だから名前が変わるよりも、名字が変わるほうが抵抗がある。早く夫婦別姓になってほしいと心から願っているが、世の中、まだまだそうはならなさそうだ。昔、アメリカの学校で先生が出席を取っているときのことである。私の名前が呼ばれると、ヒスパニック系の子たちがざわっとした。「どうしたの?」と先生が聞くと、1人の男の子が、スペイン語で私の名前の音は「かわいい子」という意味で、先生が私に向って「かわいい子」と言ったので驚いたと話した。私の名前は亡くなった祖父がつけてくれた。きっとそこまでは考えてなかっただろうが、そのときは、なんだか祖父に感謝したくなった。(M)

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