Editor's Room

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2008年8月22日(金) 「習い事」

習い事は公文式、習字、スイミングをしていた。公文式の成果は中学の頃の数学の赤点へ、習字はミミズに帰結した。唯一成果があったといえるのはスイミングだった。小学校卒業から17年間まったく泳いでいなかったが、一昨年幻想にうなされて通いだしたジムで、17年間のブランクをものともせずに普通に泳げた。ただ小学校の頃はぶっ通しでクロールを1キロ泳げたのが50メートルで限界だった。だが、そもそも1キロ泳げたところで良いことがあろうか。乗っていた舟が沈没した時に最も必要な能力は泳ぐ能力ではなく、救命ボートにいち早く乗り込む能力だ。母が自宅でピアノ教室をやっているが、ピアノはほとんど習ったことがない。母は何回か私にピアノを習わそうとしていた。母親が教えると私が嫌がるだろうと、母親の友達のピアノの先生のところに通わせようとしたこともあった。しかし、どんなに説教されようが頑としてひこうとはしなかった。そもそも私の手の小ささ、指の短さからピアノをひくことは現実的ではない。指をめいっぱい伸ばした挙句にこむら返りをする恐怖と闘ってまでピアノをひきたいか?指さえ長ければ・・・あと天才的な音楽的才能、音感、リズム感、楽譜を読める能力があれば天才ピアニストとして、名をはせていただろうに・・・。ピアノの先生の息子のくせに、小学校のころ私が一番得意としていた楽器はトライアングルだった。そのほか少年野球チームか、少年サッカーチームに入ることも検討されていたが、入っていなくてよかった。もし入っていたら今頃プロ野球選手やサッカー日本代表に入って、1億円プレイヤーとなり、言うなれば向こう側の世界の人間になっていた、、、わけではなく、小学校の頃から腰痛に苦しむことになったからだ、試合に出れずベンチに座り続けるために。(HK)

子供のころは公文、習字、ピアノなどをやっていた。どれも割と長続きしたが、イマイチ身が入らなかった。習字は四段までいって、もう少しで師範の資格が取れる・・・というところで辞めてしまった。今考えるともったいないが、それほどのモチベーションがなかったのだろう。大人になってからも、英語や油絵などをかじったが、道具やテキストをそろえて満足するタイプに成長していた。全コースを終了できた英語の専門学校は、英語の習得が目的というよりも、「仲間と一緒」が楽しかったから続いただけだった。あまり何も続かないので、スポーツクラブに入ったとき、私はウエアなどを揃えるのをやめてみた。「形から入るからいけない」と考え、持っていたウエアや靴を使うことにしたのだ。すると、これが功を奏したのか、私は毎日のようにスポーツクラブに通い続けた。ダサいウエア、時代遅れのシューズで身体を鍛え続けた。ジョギングを始めようと、ウエアとシューズを揃えて、1日も行かなかった私からしてみれば、信じられない事態だ。何事も気負いはいけない。「いつでもやめられる」という気楽さがないと、私の場合は続かないらしい。果たしてこれがいいのか、悪いのか。自分でもよく分からない。(M)

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