Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2008年4月4日(金) 「先輩・後輩」

中学生のとき、私はバスケット部に所属していた。別にNBAが好きだったからとか、バスケットがやりたかったからというわけではなかった。ただ、バレー部には怖い人がいっぱいいたし、私の通っていた田舎の中学校にはテニス部などといった、しゃれたものがなかったから仕方なく・・・といったほうが正解に近い。当時、私は同じバスケット部の先輩(女性)に憧れを抱いた。目がぱっちりとしていて、ショートカットの似合う人だった。毎日、一緒に練習できることが、とても嬉しかった。なんともかわいい話である。特に積極的にアプローチ(?)したわけでも、告白(?)したわけでもないので、特筆できるほどの思い出はないけれど、今でも思い出すと不思議な気持ちになる。1年して、その先輩は卒業していき、私の下には後輩が入ってきた。生まれて初めて「先輩」になったその瞬間は今も忘れられない。(M)

大学に入学したとき、同じクラスに留年生がいた。仮名として山田一郎としたい。留年したとはいえ、先に入学した先輩なので最初は「山田さん」と呼びかけることとなる。腫れ物だったら触るのが怖いので、とりあえず考えうる最も安全な策をとってみるのだ。第一声で留年生であると明かし、留年をテーマとしたウェブサイトも運営していた彼は「同級生なんだから『さん』づけするなよ。」とフランクに我々に進むべき道を切り開いてくれた。その言葉に甘えるのはしゃくだが、二度目の大学生活を始めた私は彼よりも年上なので、そもそも彼を「さん」づけする必要はないと「山田くん」と呼び始める。こうして「くん」づけに慣れた1年後、彼は再び留年してしまった。フランス語教師に「こんな問題もできないなんて、ミゼラブルだ!」と罵倒された私は進級し、フランス語の"L"の発音まで"R"と同様なうがいの音ような発音をしてしまう程度の彼が留年してしまったのだから、世の中は分からない。年齢と学年のねじれ状態が、ようやくここにきて年上が先輩で、年下が後輩という形におさまった。それからはここぞとばかりに先輩風を吹かせて彼を「やまいち」と呼んでいる。とかく先輩と後輩の関係は絶対視されることが多い。4月2日生まれが4月1日に絶対服従する不条理がまかり通っている。どちらが正しいか、間違っているかは議論の分かれるところだが、私の理想は、自分が先輩の場合は先輩・後輩の立場は絶対的に正しく、自分が後輩の場合は間違った考え方だと確信している。とはいえ新歓コンパで当たり前のように一定額の供出を要請されたときは、後輩の立場とはいえ、先輩・後輩の立場をわきまえてほしいと熱望した。(HK)

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