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2008年3月7日(金) 「節約」
節約したいと常に思っているが、どうしても実践できない。わざわざ高いものを選んで買うわけではないし、それほど高価な買い物もしないが、欲しければ(また必要ならば)値段をあまり考えずに買ってしまうという傾向がある。もう5年以上前になると思うが、何を思ったのか(たぶん「節約してみようかな」と思ったはず)、パソコンについている家計簿ソフトで家計簿(みたいなもの)を始めた。凝り始めると徹底してやってしまう性格であるため、項目分け、口座管理など時間をかけて細かく設定した。いざやってみると、結構楽しい。毎日、家に帰ってきては、レシートを片手に項目分けをしながら、金額を入力していく。しかし不思議なことに、頻繁に「使途不明金」が出てくる(といっても数十円から数百円単位だが)。食事に行って、割り勘とかにすると、そのあたりでどうやらグチャグチャになるらしい。しかし「使途不明金」がイヤだからといって、割り勘をした後にメモを取ったりするのも場をシラけさせる。どうしたものかと考えた結果、私は家計簿をやめることにした。どうしても「使途不明金」が許せなかったのだ。もっと適当でもいいじゃないかとも思ったが、「やるからにはキッチリやりたい。できないならやらない」というゼロか100かの性格が災いしてしまった。こんなことがあってから、「節約」と聞くと、とても難しい大きな課題に感じられて仕方ない。何かこんな私にもできる方法があったら、教えてください。(M)
節約とケチは何が違うのか、首都高速と私を例に考察したい。私はたまに首都高速を使う。東京砂漠から一刻も早く抜け出したいからだ(速く走るという意味ではない)。ところがネックとなるのが通行料である。私が一番よく使う高速道路である東京外環道は全線走っても500円で、深夜時間帯はETC割引で半額の250円と大変お得である。埼玉バンザイ。それに比べて首都高は700円。非常に高い。東京というコンクリートジャングルから早く逃げ出すために首都高に乗るが、乗るからには最大限乗ってやるとばかりに一番遠回りのルートを選択したりして、結果一般道以上に時間がかかり、遠回りの分だけガソリンも消費する。以上が私というケチの発想である。翻って節約家はどういう発想をするのか。「首都高?ほとんど乗らない。首都高で早くなっても、そんな10分20分が大切か?」というのだ。確かに「おまえの10分20分は大切じゃないよな」という気もするが、私の時間は彼以上に無価値なので、首都高に乗らなくてもいいはずだ。でも乗ってしまう。つまり私は自分の時間の無価値は把握しているので(自己分析ができている)、700円で最大距離を走ることに価値を置いているのだ。これがケチである。結論からすると、私は極少の金額消費で最大限の利得を求めるのがケチで、そもそも消費をしないのが節約である。ところで首都高は今秋に距離別料金制になるらしいが、最低料金が400円らしい。首都高速側は「短距離利用者でも公平になる」と謳っているが、短距離利用者で首都高を利用できるお大尽と700円で最大距離を走ろうとする貧民を公平にするというのか!横浜の端の方から埼玉まで走った場合、現行で1700円が2800円になってしまう。ケチではなく、首都高を使わない節約家になるよう精神を鍛錬したい。(HK)
節約とはちょっと違うかもしれませんが、500円玉貯金をしています。「お財布に500円玉があったら、貯金箱に入れる」というルールなので、一度に3個入れる日もあれば、何も入れない日が一週間続くこともあります。去年は、お釣りなどでなるべく500円玉をゲットする&500円玉が手に入ったら使わずに持ち帰る、という2つのことを意識していたら、一年間で10万円以上貯まりました。これまで10万円を2回達成し、パソコンを買ったり、旅行の費用にしたりしました。基本的にはお金を使うことが好きなので、貯まったお金の用途を考えるのが楽しいのでした。節約といえば、省エネはつねに意識しています。マイバッグ、マイ箸を持ち歩いたり、紙タオルではなくハンカチで手をふいたり、紙タオルを使った場合はついでに洗面台の周囲をきれいに拭いたり、家でも会社でも電気をこまめに消したり、ささやかではありますが、気軽にできることをしています。これは、何といっても地球温暖化が恐ろしいからです。(MT)