Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2008年1月18日(金) 「手帳」

私は手帳やスケジュール帳を使いません。年末になると必ず、使いやすそうでかわいい手帳を購入するのですが、なぜか使わずに終わってしまいます。基本的に私は記憶ベースで動いています。手帳を使うほど忙しくないというのが大きな理由ですが、少し先の予定でも、なんとなく覚えているし、もし頼りないなと思うと、直前に確認します。だから大抵の場合、困ることはありません。でも手帳を駆使するということへの憧れもあります。まずカッコいい。忙しいビジネスパーソンっぽく、真っ黒なスケジュール帳にさらに書き込むなんて、考えただけでゾクゾクします。だったら使えよ、とも思うのですが、どうしても使えないんですよね。そういえば、かつてオンラインでスケジュールを管理していたことがありましたが、あれならなんとか続きそうでした。といっても、今はやってないんですが・・・。(M)

先日、新聞で、最近は、小学生のあいだでスケジュール帳がとてもはやっている、という記事を読みました。最近の小学生は、塾やら習い事などでいそがしく、スケジュール帳が必要らしい。手帳というと、一時は電子手帳がもてはやされましたね。また、最近の人は、携帯電話でスケジュールを管理する、という話も聞きます。でも、わたしは手帳は絶対にアナログ派。時間感覚を把握するには、やっぱり一覧性があることが、わたしにとっては必要です。だから、わたしは紙の手帳が好きです。その昔、システム手帳というものがはやったときがありましたが、あれもわたしには合いませんでした。1年で1冊ずつ完了していくのが気もちいい。ここ10年くらい愛用しているのは、クオバディスの手帳。5年ほど前からは、会社から、スタッフ全員にクオバディスの手帳が配られるようになりました。手帳カバーには、わたしの名前が入っています。大事な手帳です。(C)

世知辛い今生を疾風怒濤に駆け抜けるためには手帳の携行は必須だろう。しかし、胸に手を当てて熟考したい。果たして私は世知辛い今生にいるのだろうか。断じて否である。私は微温湯の人生を緩慢に歩んでいる。なので手帳の携行は必要としないはずである。しかし、、誰も認めようとしないが、最近は手帳を愛用しているのは事実であることを強く断言したい。今までは違った。私の手帳は脳とばかりに、手帳を一切持たず、携帯電話を手帳に使うなどという邪道は軽蔑していたが、今は違う。昔は予定が少なかったので、脳だけで記憶できた。しかし最近は予定を書き入れないと、会議など仕事上のことは失念してしまう。呼び出されて、忘却の淵に追いやっていた会議出席者としての義務を思い起こす憂き目にあうことが多くなった。ゆえに、手帳を所持しているのに使用しないのは実に勿体無いという当たり前の考えと複合し、手帳を使用している。蛇足だが、失念するようになったのは予定の増加という事実ではなく、脳という記憶媒体の経年劣化によるところかもしれない。この現象は甘井先竭によるところだと強弁して、私の価値を昇華させたい。(HK)

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