Editor's Room

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2007年12月21日(金) 「わたしの繊細な一面」

自分が繊細だなと思うのは、トイレとベッドに関してです。海外旅行はもう大変です。数年前の上海では苦労しました。一緒に行った友達は平気だったようですが、わたしは日系百貨店のトイレですら入れなかったので、かなり深刻です。今思い出すと、上海ではずっと、トイレを探していたような気がします。もったいない話です。インドには生きているうちに行ってみたいけど、トイレ問題を克服しないとまず無理でしょう。それからベッドは固さにこだわります。やわらかいベッドだと腰が痛くなって、次の日はひどい思いをします。やわらかいベッドなら、床の上で寝るほうを選ぶかもしれません。(床で寝られる人は繊細ではないという意見も聞こえてきそうですが。)そして枕は使いません。タオル1枚でも頭の下には敷きたくないのです。わたしの理想の寝方は、平らな状態。ここまで書いてみると、「繊細」というよりは「潔癖症」とか「神経質」に近い感じになってきました。でも自分ではこれを「繊細な一面」と思っているので、許してください。(M)

Mが書いていますが、わたしも、繊細と神経質と、どう違うのかなーと思いながら書きます。わたしは、年齢を重ねるに連れて、自分がだんだん鈍感になってきたとよく思います。「鈍感力」というタイトルの本があったような気がしますが、確かに鈍感なほうが、人生は生きやすいのではないでしょうか。わたしは子どもの頃、本当に神経質で、ぴりぴりしていました。潔癖症といえるほどきれい好きで、家に帰って、カーペットにちょっとでもゴミがついているようだとイライラしてしまう。自分で掃除しているわけじゃないのに、キーッとなってしまうので、母にはずいぶん迷惑をかけました。それに、人間関係について、気苦労が多かったのも子ども時代です。わたしは「みんなと仲よくしなければいけない」と、非常に強く思っていたので、クラス内でどう人間関係をつくればいいか、ということにとても頭をつかっていました。あの頃は、本当に疲れた。おとなになると、自分がつきあう人を自分で選んでいけるようになるので、楽になるのでしょうか。人によるのでしょうが、学校って、なかなか厳しいサバイバル空間だとわたしは思います。どうやって人とうまくやっていくかっていうことを学ぶ場所なんでしょうかね。その後、鈍感力は鍛えられ、いまやまわりの人に言うと「え!」と驚かれるとは思いますが、それでもいまだに人の心の反応について敏感なところがあり、疲れることも多いです。普通のことなのかもしれませんけどね。(C)

私のことを豪放磊落で男の中の男と信じるものは、私を含めて誰もいないが、「大雑把」や「適当」と言われるのはどうしてだろうか。「豪快」と言ってくれてもいいのではないか。とはいえ私自身が「大雑把」と言われるほうが納得するのはどうしてだろうか(私が他人の意見だから無条件に納得せざるをえない羊みたいな男というわけではない)。逆に「神経質」とも言われることがある。人間は矛盾した存在だ、と話を大げさにしてみたのだが、とにかく私は「大雑把」と「神経質」が同居している。夜寝るときは枕が替わると眠れない。漆黒でないと眠れない。物音なんて絶対に許せない。そのくせ電車では立ちながら眠ることが出来る。あるいは休日の昼寝もどんなに明るかろうが、物音がしようが熟睡できるのが不思議だ。夜だけ繊細になるのだ。もしかしたら繊細ではなく、体内時計が英国紳士なだけかもしれないが、どう頑張ってもレディーファーストの観念が湧き出ないところをみると、私の中に英国紳士はいなく、夜は繊細、昼は大雑把と使い分けているだけだろう。とはいえ狼男は夜に月を見てオオカミに変身するが、夜に繊細になる私はオオカミの対となる羊ではなかろうか。昔のアデランスのCMでヴェルディ川崎のFWの鋤柄選手は「♪男はオオカミ~」というBGMで登場したのはだったが、私は羊なのでアデランスは必要ない、まだ。昼が大雑把なせいか仕事は雑なような気がする。もし勤務時間が夜9時~朝5時だったら、さぞかし完璧主義の仕事人間になっただろうに、この原稿も推敲を怠ったがために叱られる。就業時間が夜9時から朝5時だったら他人のミスを神経質に指摘して説教している仕事に厳しい男になっていただろうに、人間社会が昼型人間に支配されているがために今日も叱られる(それでも推敲せずにこの原稿を提出する)。(HK)

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