itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。
2007年11月16日(金) 「人生最初の記憶」
小さいころ母に連れられて、弟と電車に乗ったときのことです。私は4歳くらいだったと思います。電車の中で立っていると、前に座っていたおじいさんが私に話しかけてきました。当時、私は知らない人がすごく怖くて、家に人が来ただけで、泣き叫んで家に駆け込んでいたそうです。(その記憶はないんですが・・・。)でも、そのおじいさんはなんだか怖くなかったのか、私はちゃんと自分の歳を答えられました。すると、そのおじさんは「いい子だね」と言って、私に50円玉をくれました。私はそのとき、生まれて初めてお金を手にしました。私の記憶はここで終わっていますが、今でも日差しが差し込んでとても明るかった車内の光景は覚えています。おじいさんの顔も、その50円をどうしたのかも、まったく覚えていません。でも、何気なく行う小さなことでも、誰か(この場合は私ですが)にとっては、一生の思い出になることもあるんですね。(M)
人生最初の記憶は成田空港である。現在では世界を股に駆ける国際派エリートビジネスマンであるはずがない私だが、ゴルゴ13ことデューク東郷として世界を舞台に暗躍するスナイパーでもないので、成田空港が何かを暗示していたわけではない。3歳のときに父親の片腕として(正確には片腕にしがみついて)ドイツに行ったのだが、出国時の手荷物のX線検査で泣き叫んだ。純粋無垢で愛くるしい幼い私(歴史家ではない私は歴史に対して誠実である必要性はないので、思い出は徹頭徹尾美化する)にX線検査など理解できない。片時も離したことがない日比谷線のブリキのおもちゃを、よく分からない大人に取り上げられて暗闇に消されるのである。「返せーー!!」と絶叫した。泣き叫んでみたところで、機械を通してすぐに出てくるのだし、そもそも私は泣き虫としてその名を轟かせていたので、親は何も動じなかった。泣き損である。次の記憶は経由地のパリだ。パリで迷子になったのだ。あのまま親に発見されていなければ今頃パリジャンだったのだ。パリジェンヌを "Je t'aime." と口説いて振られ続ける人生を送っていたのだろう。(HK)
人生最初の記憶、といわれると、いくつかのシーンが思い浮かぶが、どれが最初かよくわからない。友だちと庭でおままごとをしている情景、祖母が飼っていた犬が縁側の下で丸くなって寝ている様子を見ながらトイレに行ったこと、弟が生まれたばかりの頃、機嫌が悪くなって母のおへそに噛みついて怒られたこと、保育園の頃、仲のよかった男の子が家に花をもってきてくれたこと、きょうだいで寝る前にふざけて母の上に布団を載せて、その上に乗っかって遊んでいたら、母が窒息しそうになったこと、祖母と一緒に電車に乗ったとき「どうしておとなのお尻には毛が生えているの?」と電車の中で大きな声で聞いて、祖母を困らせたこと、、、。本当だったのがどれで、ただの思い込みがどれだったかも、いまではもうよくわからない。アルバムの写真を見ると、記憶がないのに、覚えているような気にもなるが、やっぱり覚えていないな。なんでMもHKも覚えているんだ?(C)
先日20年ぶりに小学校のクラスメートに会い、昔話に花を咲かせました。しかし、○○ちゃんは今どこそこに住んでいる、○○さんと○○君は結婚して子どもがいる、といった話になると、たびたび(というかほとんど毎回のように)「ごめん、それ誰だっけ?」と聞き返すわたし。自分でも驚くほど、記憶が失われていたのでした。中学生のときは、同級生400人の氏名を当然のように諳んじることができたのに。そんなわたしに人生最初の記憶と言われても、わかるわけがありません。最初ってどういうことでしょう。小学校4年生のとき、はじめて自分で電車の切符を買ったときのことは覚えていますが。MもHKも、すごい。Cの記憶の妙さも、ある意味すごい。(MT)