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2007年11月2日(金) 「資格・検定」
資格・検定といえば、英検くらいのものでしたが、最近ではいろんな検定が流行っていると聞きます。「世界遺産検定」や「コーヒー検定」、「常識力検定」なんていうものまであります。地域の歴史や文化、観光を問う「ご当地検定」も広がっているとかで、「京都検定」には、なんと1万人もの人がチャレンジしたそうです。ところで、こういった検定に合格すると、やっぱり履歴書の資格の欄に書くのでしょうか。「常識力検定3級」なんて書いたら、なんだか常識がない人みたいに見えて、逆効果のような気もします。私は自分の字にコンプレックスを持っているのですが、実は書道4段。なんともう少しで師範の資格まで取れるところでした。しかし普段書く字はぜんぜんぱっとしません。履歴書に下手な字で「書道4段」と書くたびに、なんだかなあと矛盾を感じずにはいられません。(M)
漢字検定を受けよう、受けようと思いながら、はや数年が経ちました。まあ、わたしの場合、どんんなものでも、同じような感じです。「やろう、やろう」と思いながら、やらずに何年も経ってしまったものは、いったいどのくらいあるでしょう。振り返って、考えてみる気にもなりません。わたしが履歴書に書く資格は、運転免許と教員免許。教員免許は、親に「大学に行かないと取れないから」と言われ、深い考えもなく教職課程を履修し取ったものです。もともと先生になるつもりはあまりなかったので、いよいよ教育実習というときには、ちょっと罪悪感を覚えました。でも、教育実習の2週間で、教員は天職かも?!と思ったわたしは、大学卒業後、留学を経て、私立の中学・高校の非常勤講師になったのでした。しかし、いまはなぜかここにいる。残念ながら、天職じゃなかったようです、、、。(C)
特別な資格ももっていないし、検定も中学・高校で強制的に受験させられた英検しかもっていなく、さすがに寂しいと思っていた矢先の今年の春、日本語検定という新たな資格がスタートすることを知った。英語なら破滅的になるところだが、日本語である。余裕だ。いきなり1級を受けてみようと思ったが、2級に合格しないと1級は受験できないとのことなので、「余裕だせ♪」と全く勉強しないで試験に臨んでみた。。。後悔である。非常に難しかった。頭が働かないのは前日の酒のせいだけではない。自分が当たり前のように使っている敬語でも問題で改めてみると、自分が本当に正しい敬語を使っているのか疑念がどんどん沸き起こり、回答に迷いがでてくるのだ。自分のことをまるで信用していない性格が仇となった。そして、何より私はバカだった。かろうじて準2級という合格でも不合格でもない曖昧な結果に終わっただのが、振り返ってみると何でもっと勉強しなかったのだと。検定料が非常にもったいない。とはいえ事前の努力よりも後悔の方が圧倒的に楽である以上、プレッシャーのかからない趣味的に受けてみた検定はどうしても後悔を選んでしまう。思えば資格や検定に関しては後悔の連続である。教師になろうとは一度も思ったことはないが、教職を取っておけばよかった。運転免許ぐらいしか書くことのない履歴書の資格欄が一気に華やいだことだろう。もう後悔はしたくない。この後悔を反省に転じさせて、資格を持とう。そして未来に大きく羽ばたこう。今後に有利な資格としてTOEFLなどがあるが前代未聞の結果になりそうなので、歴史能力検定とか、京都検定とか、山川出版以外には履歴書に書くような資格ではないが、合格すれば自己満足はできると思う。ちなみに和光市検定もあるらしいが、それはどうでもいい。(HK)
Cと同じく漢字検定を受けようと思って、数ヶ月前に参考書を買いました。友人がTOEIC受験に向けて毎日勉強しているのを見て、自分も急に何か勉強したくなり、「やはり漢字だろう」と思った次第です。大きな本屋で数十分迷った末に購入した参考書ですが、しかし、買った当日わくわくしながらちょっと家でやってみただけで、その後まったく開いていません。さきほど「弊社」の「弊」の字が途中でわからなくなり、隣の同僚に教えてもらいました。恥ずかしい。これを書きながら、やはり漢字検定を受けてみようと思い始めております。小中学校の漢字テストでは、よく漢字を創作して先生に感心されて(?)いたのですが、検定では創作部門は無いはずなので、きちんと勉強しなくては。先日のマラソン大会といい、子どもの頃「てきとうにやり過ごしてきたこと」に対して、30代になって、急にまじめに取り組もうとしているわたしです。あ、そういえば、マラソン大会は無事完走しました。ご声援ありがとうございました。(MT)