Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2007年9月28日(金) 「遠足」

小学校のときに遠足に行った場所を聞くと、同じ東京出身者でも結構違うものだ。子どもの頃は、自分の生きている世界がすべてだから、同じ東京出身だったら、同じ場所に行っているものだと思っていた。ちなみにわたしは東京23区北西部地域の出身で、小学校の遠足は、もっぱら西武線沿線の奥地。顔振峠とか、名栗川とか、稲荷山公園とか、多摩湖とか、、、。東京でも、多くの人は知らない場所だと思うが、当時は有名で場所だと思っていた。いま思うと、名栗川なんて、きれいな場所だったなー。中央線沿線の学校に行っていた人は、遠足では高尾山に行ったらしい。23区東部に住んでいた人は、千葉の方に遠足に行くのかな? そういえば聞いたことがない。(C)

遠足といえば、「おやつの限度額がいくらだったか」で、ある程度世代がわかると思う。わたしの場合、小学生のときの限度額は300円だった。近所のお菓子屋さんで、必死に悩みながら選んだものだ。当時憧れていたお菓子は「ヨーグレット」。青と白のパッケージがクールで大人びて見えた。もちろん味も好きだった。肝心の行き先は、電車に揺られて出かけた、ある大きな公園しか思い出せない。遠足といえば、毎年そこに行っていた気がする。そりすべりや、ハンカチ落としをして遊んだ。わたしが通ったのと同じ小学校に通う姪が遠足に行くというので聞いてみたら、行き先はやはりその公園だった。懐かしいのでついていきたかったが、変質者と思われるといけないので我慢しました。(MT)

遠足のことをあまり覚えていないので、小学校の卒業文集を紐解いてみた。この卒業アルバムで将来の夢を世界で一番偉い人である(と信じきっていた)国連事務総長になりたいなどと恥ずかしすぎることを書いていた(独裁国家なら消されていたところだ)ので紐解きたくたくはなかったが、あえて困難に立ち向かう勇敢な私に感嘆せざるをえない。小1の遠足は浦和にある大崎公園であった。大崎公園など多分誰も知らないと思うが私も知らない。なぜなら皆が遠足に行っていた時期は海外で暮らしていて半年入学が遅れたからだ、とあえて書くのは自慢のためだ。この半年のブランクが致命的なダメージとなってこういう人間になってしまったのだが、そんなの関係ねぇ。小2は岩槻のパン工場、小3は野田のキッコーマンの醤油工場と知的な遠足だった。周りから神童とうたわれリアル出来杉くんだったので我が意を得たりという遠足だった、Oくんにとっては。遠足は学年が上がるごとに遠くに行くようになる。小4のときは栃木にある大平山で、小5 は群馬の桐生にある絹織物工場と太田にある三洋の工場、秋には筑波山だ。小6は木更津で潮干狩りだった。遠足で群栃チバラキと結構遠くに行っているのに、なぜ鎌倉、箱根が修学旅行先として成立するのか疑問だが、大人の事情があったのだろう。そんな事情もわからず、純粋無垢であったにちがいない私はお気に入りの広島カープの野球帽(ミスター赤ヘル山本浩二のコスプレ)をかぶって、300円を越えるお菓子を持って来ていた悪辣な者から、お菓子を横流ししてもらった。正義を振りかざす女子に公開裁判と化していた学級会で糾弾されることになるとも知らずに。(HK)

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