itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。
2007年7月27日(金) 「子どもの頃手放せなかったもの」
子どもの頃手放せなかったものといえば、タオルのタオちゃんです。タオルといっても持ち歩けるサイズのものではなく、寝るとき体にかけるタオルケット。薄い青色で、デザインもよくあるタイプの平凡なものでしたが、そのタオちゃんが無いとうまく寝付かれず、保育園のお昼寝の時間が苦痛だったことを思い出します。全体的に薄汚れ、にぎってかじるので四つ角は茶色に変色していたような。見かねた母がたまに洗濯すると、硬くなったと泣いて抗議したような。すぐまたよれよれになるんですが。そんなタオちゃんは、幼いわたしの精神安定剤でした。いつ頃からか、タオちゃんなしでも眠れるようになりましたが、そういえばちゃんとお礼を述べていなかった。勝手ながら、この場を借りてタオちゃんに謝辞を述べさせていただきます。ありがとう、そしてさようなら、いとしのタオちゃん。(MT)
わたしが子どもの頃手放せなかったのは、毛布の切れ端。その名は「ももちゃん」。スヌーピーに出てくるライナスみたいに、大きな毛布を引きずっていたわけではありません。持ち運びしやすいように(?)、親が50センチ四方に四角く切ってくれた毛布の切れ端でした。確かに自分がももちゃんを大切にしていたことは覚えているのですが、その姿がどのようなものだったのか、記憶は定かではないし、ましてや、いつ手放したのかはまったく記憶にありません。ああいうものを手放す年齢というのは、だいたい決まっているものなのでしょうか。わたしはひとりで寝られるようになったのが遅かったのですが、ももちゃんを手放したのも遅かったのかな?もうきっと捨てられてしまったと思うけど、ももちゃんを見つけて、匂いをかいでみたくなりました。懐かしい匂いがしそう。(C)
普通の子どもがタオルだか、ぬいぐるみだかを手放せなかったように、変な子どもだった私も(今でも変なので成長はしていないと思う)手放せなかったものがある。昔の地下鉄日比谷線のブリキのおもちゃである。予断だが幼稚園児になる前、日比谷線のことを足立線と呼んでいた。確かに私が住んでいた町からすると日比谷は遥か遠く、足立区から北上してくるイメージだったのだが、そういうイメージを持って足立線と呼んでいたのだとしたら、私は神童だったのではなかろうか。閑話休題。どこでどう気に入ったか分からないが、物心が付いた頃には私は日比谷線のブリキのおもちゃとともにあったのだ。双子の兄貴は総武線(郷土愛はないのか!)、黒塗りのベンツのミニカー(ヤクザか!)など移り気であったが、私は日比谷線のおもちゃに全ての愛情を注いだ。1度どこかに忘れてきたか、失くしたことがあったが、激しく泣き狂うことによって父親に最購入を強く要望し、全く同一のものを買ってもらった。それ以来、失くしたことはない。本物の日比谷線の車両は新しい車両の登場とともに姿を消してしまい(長野電鉄という私鉄でまだ走っているらしいが)、同様におもちゃの方も小学校入学の頃には現役こそ退いているものの(持ち歩かなくなった)、今でも棚の上に飾ってある。一般の子どもと同様、何でも舐めてしまう習性によって錆びているところも多数あるが、それがレトロ感を醸し出している。家宝にしようと思う。(HK)