Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2007年6月29日(金) 「アルバイト」

アルバイトというと、飲食店で働くイメージが(勝手に)強いのですが、私は飲食店で働いたことがありません。おしゃれなカフェとかに行くと、のんびりこういうところで働くのもいいなぁと思い、ひそかに憧れたりしていました。考えてみたら、やったことのあるバイトは家庭教師しかありません。割のいいバイトかもしれないのですが、結構苦労したことを覚えています。私が教えていたのは、中学生の男の子と女の子、あとは小学生の姉妹でした。中学生の男の子はサッカー少年で、勉強が嫌い。勉強に向かわせるだけで、とても苦労しました。中学生の女の子は、とても勉強熱心な子で、引っかかる問題は私も考えてしまうような問題ばかり。これはこれで、冷や汗もの、毎回、必死でした。小学生の姉妹は遊びたいさかりで、私を遊び相手と考えていました。でもご両親は、遊び相手が欲しいわけではなく、成績を上げて欲しいわけで、、、その辺のギャップに苦しみました。以上が私の乏しいアルバイト経験です。もっといろいろとやっておけばよかった・・・。そしてやっぱり今でもカフェで働いてみたいという願望はあります。カフェエプロンを見ると、なんとなくうらやましかったりするのが不思議です。もう無理ですけどね・・・。(M)

大学時代のアルバイトは、Mと同じく家庭教師だけでした。あまりアルバイトの経験はないかも、、、と思いながらつらつら考えてみたら、実は大学卒業後は、アルバイト人生だったと言ってもいいかもしれないことに気づきました。大学を卒業した年の9月から留学予定だったわたしは、渡航費くらい自分で稼ごうと、日本で一番大きな広告代理店で3ヶ月間アルバイトをしました。世はバブルまっさかり。アルバイトにもタクシー券が出るような、そんな豪勢な時代でした。留学を終えて帰ってからは、留学コースを運営する会社で1年間アルバイト。それから今度は大学院留学をして、帰ってからは英会話学校で非常勤講師をしていました。ちゃんと就職したのは、実は28歳のとき。かなり長いモラトリアム人生だったんです。でも、大学を出て、広告代理店でアルバイトをしたときに、目の前に広がる世界の境界線が一気に広がった気がしました。経済活動をする社会のエネルギーに触れて、自分がエネルギーもらったんだと思います。長いモラトリアムを過ごしましたが、いまこうして経済活動の一端に携わっていて、本当に毎日が楽しい。大学時代にもっと違うアルバイトをしていたら、わたしのモラトリアムも短かったのかもしれません。(C)

野球の才能もなく、カリスマ性も絶無である私がカンピューターを駆使して社会生活を営むことは非常に難しい。論理的に人にモノを伝えるトレーニングをしなければならないという焦燥感にかられて、個別指導の講師を大学時代ずっとしていた(家庭教師は他人の家庭に入るのが面倒だし、集団塾はハードルが高すぎる)。ただ問題となったのが教科だ。私は基本的には世界史を中心とした社会を担当したのだが、社会を習いに個別指導塾に通う生徒なんてほとんどいない。社会担当の講師は少ないパイを奪い合う形となる。ただでさえ少ないのに、塾には私と同じ歴史オタクの巣窟である史学を専攻している講師がゴロゴロいた(私とは別の大学の史学科に通う講師が、同じ学科の友達をたくさん引き入れたからだ)。機会均等というわけではないが、社会の授業を全て担当できるわけではない(社会の授業を全て担当したとしても、月給が子供のお小遣い程度にしかならない)。他の教科もやらなければならない。一番多かったのが、需要の高い英語である。中学英語はもちろん、高校の受験英語まで教えていた。ちなみに私の英語力は知る人ぞ知るのだが、酷い。大学に入れたのは試験に辞書を持ち込めたからだ。中学英語は普通に教えられるのだが、高校受験英語となると教えているというよりも、一緒に勉強しているという感じだった。アドバンテージは二度大学受験を経験していることと、回答を見ることができることだけ。私は高校時代の不勉強を激しく後悔しながら、生徒と一緒に問題に挑んでいた。。。担当生徒にはかわいそうなことをしたと思いつつも、全員受験に成功しているので、私は生徒の成長と自立を促す講師だったのではないか、、、完全な開き直りである。。。ごめんなさい。(HK)

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