Editor's Room

itoh.com の舞台ウラをリアルタイムにご報告します。

2007年3月2日(金) 「受験勉強」

私はコツコツ勉強するのが苦手で、参考書や問題集を買ってはそれで満足するタイプです。当時も今も通信講座も苦手です。塾や学校、講座に行くと、がんばって勉強するのですが、家でひとりで勉強するのが嫌いなようです。仕事なら大丈夫なのに、不思議なものです。そんな私が唯一、しっかりと勉強したのが TOEFL対策でした。問題集にまともに向き合ったのはあれが初めてです。CDでリスニング問題をやり、時間を計って長文問題を解いていきました。使った問題集は1冊だけ。それでも見事に得点は上がりました。「受験のとき、こうやって勉強していれば・・・」と28歳の私は実感しました(10年遅い)。でもやっぱり今、通信講座をやっても、できないんだろうなぁ。(M)

受験勉強をしたのは、かれこれ25年も前のことになります。計算してびっくりしてしまった。高校からエスカレーター式で大学に行ったので、いわゆる受験は、高校受験まで。その後も何か受験したかなーと思って振り返ってみましたが、特に何も試験を受けていないような? いま振り返ってみると、高校受験のための勉強は、よくしていたなーと思います。よく、家中が寝静まった後、ラジオなんかつけて、ダイニングでひとり問題集をやっていました。なぜか勉強って、自分の部屋だと集中できないんですよね。わたしの定席はいつも食卓でした。よく夜中に勉強していたのは、理科でした。わたしはいわゆる文系なので、理科はまったく得意科目ではなく、でも、理科だけ教えてくれる塾がないので、受験のためにひとりで問題集で勉強しました。理科はかなりしっかりやったので、高校受験のときは、瞬間風速で理科が得意科目のひとつになっていたのを思い出します。高校受験の勉強は、なんだかとっても楽しかったな。ウソではなく、高校受験ならもう一度やってみてもいいくらいです。でも残念ながら、あのときを最後に、一生懸命勉強したことはありませんね。(C)

御茶ノ水の駿台予備校の目の前にある病院で私は産声を上げた。その時からやがて訪れる予備校生活は宿命であった。ユダヤ人にとってパレスチナが約束の地であったように、御茶ノ水が私にとっての約束の地になってしまったのだ。宿命であったとしても、受験勉強が好きだったわけではない。世界史は趣味として楽しめて勉強できたが、英語と古文に関しては敵視していた。文系なので最初から切り捨てていたが、数学や理科などの理系科目にいたっては悪魔の教科と認識していた。高校時代の成績表に並ぶ赤字は大悪魔そのものであった。そんなものを受験教科に選ぶほど私は勇敢ではない。とはいえ、受験戦争に打ち勝つためには弱点を克服しなければならない。私はある一校の受験教科に着目した。「英語(辞書2冊まで持込可)、小論文、世界史」、、、これしかない!しかも幸いなことに、そこはもともと行きたいと思っていた大学であった。赤本に「辞書持込可だが、辞書をひいている時間はない。単語・熟語はしっかり覚えろ」と書いてあったので、辞書を引くスピードを極限まで高めるトレーニングを積んだ(基礎レベルの単語まで辞書を引いていたのだ)。小論文は、まずは採点者に読んでもらうことが大切なので、変な文章を書くトレーニングをした。結果として、記念受験しようとした国立大学にはセンター試験で足を切られ、滑り止めにも滑ったのが、第一志望に合格することが出来た。この受験勉強の影響によって、今でも英語力は非常に乏しく、ここで書いている文章は非常にクダラナイ。(HK)

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